日本人のパスポートは、香港で3ヶ月以内の滞在が許されているけど、それ以上の滞在の場合、特別許可ビザが必要になる。


私の本来の香港滞在目的は、「住む」事。でもそんなのに対応してくれるビザは無い。

なので、学生になって、広東語を勉強し、あわよくば就職してやろう作戦を練った。


学校には日本から入学願書を取り寄せて申請し、指定の金額(学費とビザ費用)を振り込んだ後、学校が香港特別行政政府(つまり中国政府とは異なる)にビザ発行申請・・という手順。


ビザはしっかりしたプラスチックか紙なのかと思ってたら、薄いシールで、有効期限と名前・滞在理由が英語と広東語で書かれてあった。

そのビザをパスポートに貼り、税関を通る際に上からハンコを押してもらえば、晴れて合法滞在者となる。

もらった時は、嬉しくてずっとパスポートを近くに置き、何時間も眺めていた。


ビザを発行できる学校は、当時、香港大學、香港中文大學、あとは語学学校1校のみ。

香港人の友人の薦めもあり、香港中文大學の広東語コースを選んだ。

全部通えば2年、学費は月およそ10万円くらい。 恐ろしく高い!私は自費で払うねん!!涙


日本では既に仕事を辞めており、一人暮らし、なのにSARSのおかげで訪港(香港に行く事)を半年くらい延期していたので、最初の貯金300万円からは、すでに減っていた。

その半年は、図書館に通いつめて、香港に関連する本を全て読破した。

SARSが発生した時は、両親も説得に来たし、私も「もしかして、行くなっていう暗示なのかも」と何回も考えなおしたけど、それでも香港に住む事はやっぱり憧れで、あきらめられなかった。


大体1年の家賃と学費&生活費があれば、あとは何とかなる!と信じていたのが、きっと私の強み。

25歳という若さもあったのかな? (5年経った今もきっと同じ事をしそうやけど。)

だって目的は「住む」事だから、いざとなれば学校も辞めても良かった。



学校には、20~30歳代の日本人、フィリピン人、白人(何人か推定できない)、韓国人、黒人、などいろんな人がいた。ざっくりクラス分けをされたあと、数回授業に出て、レベルを上げれそうだと思ったら上げてもよい、という事だったので、初級の2のクラスに入った。


最初の初級の1のクラスで、日本人が数人いる事がわかった。

SARSのこんな時期なのに、と予想外だった。きっとアンディ・ラウとか、香港アイドルのファンなんだろう・・。


案の定、セレモニーが終わった途端に、日本人が集まり、「日本人ですよね?」「どのクラスにする?」なんて始まった。

うーん・・。 正直、日本人がいて、私だって安心したかも知れなかったけど、せっかくなら、言葉の通じない外国人とか、香港人と交流を深めたい。

「この後、どこかでお茶でも」みたいな流れになりそうだったので、「じゃあ、また・・」「See you, Tomorrow!」と他の学生に告げ、逃げ帰った。



最初から甘えちゃ、暮らせない。・・それに私の貯金は限られているんだから、と自分に言い聞かせた。


翌日、想像以上に厳しい広東語レッスンが始まった。