私はもともと音楽分析が好きで、クラシックやポップスに限らず、軍歌や宗教歌謡まで幅広く「楽曲の構造」という視点でウォッチしています。今回この話題を知ったとき、単なる"パクリ疑惑"として消費するよりも、もっと多角的に考察できると感じたので、まとめてみることにしました💡
「愛馬とともに」と「威風堂々の歌」
【まず2曲の基本情報を整理する】
「愛馬とともに」
・作曲:佐々木俊一
・歌唱:楠木繁夫(主に)
・発表:昭和16年(1941年)3月
・ジャンル:日本軍歌(戦時歌謡)
「威風堂々の歌」
・作詞:大橋幸栄(京都の創価学会員)
・作曲:不詳(公式表記)
・発表:昭和30年(1955年)3月
・ジャンル:創価学会の代表的な学会歌(愛唱歌)
この2曲、まず「発表年に14年の差がある」という事実が重要です。
「愛馬とともに」が先に存在し、その後に「威風堂々の歌」が登場しています。これはデータとして明確です📊
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メロディーの一致について冷静に見てみる
ネット上では「ほぼ完全一致」という声が多数あります。YouTubeやニコニコ動画でも比較動画が複数アップされており、聴き比べると確かにメロディーの骨格──音程・リズム・節回し──がほぼ同じです。
ここで私が注目したいのは、「なぜこういうことが起きるのか」という構造的な問いです。
昭和30年(1955年)当時、京都の創価学会員だった大橋幸栄さんは、地区に「地区歌がない」という課題意識から、ほぼ即興で歌詞を書き、曲もつけたとされています。当時の資料によれば、歌詞はわずか5分でできあがったとのこと。作詞作曲の専門的なトレーニングを受けていない一般の方が、「脳内に刷り込まれていたメロディー」を無意識に使う──これはある意味、非常に人間らしいことだと思います。
戦中・戦後の日本において、軍歌は大衆的な音楽の筆頭でした。ラジオで何度も流れ、行軍の場でも耳にした旋律が頭の中に染み込んでいる。それを別の意図・別の歌詞で「再生産」するのは、音楽史上、決して珍しいことではありません🎵
実際、西洋音楽史においても、バッハが先人の旋律を編曲・転用したり、民謡メロディーを使ったクラシック作品は数え切れないほど存在します。
著作権的には問題ないのか?
この点、実務的に考えると明快です。
著作権の保護期間は、日本では「著作者の死後70年」です。「愛馬とともに」の作曲者・佐々木俊一氏は昭和32年(1957年)に亡くなっています。つまり1955年時点ではまだ存命でしたが、当時の著作権保護意識は現代とは大きく異なり、軍歌メロディーの流用は社会的に許容されていた面がありました。
また現在の観点から見ても、著作権はすでに切れており(死後70年経過)、法的には完全にフリーです。
創価学会が公式に「作曲:不詳」としているのは、この事情が複合的に絡み合っているのでしょう。「替え歌です」と公言することへの組織的な躊躇い、という面もあるかもしれませんが、法的に問題がないからこそ曖昧な対応が続いているとも解釈できます。
池田大作先生の役割:普及と「編集」の力
もう一つ面白い論点が、池田大作先生の関与です。
「威風堂々の歌」は、昭和30年に京都で誕生した「地区歌」でした。それを全国区にしたのが池田室長(当時)です。1958年頃に京都を訪れた際、この歌を聞いて「いい歌だ。これからは皆で歌おう」と強く提案し、普及させたとされています。
さらに池田先生は、歌詞の3番「平安の洛土見ん」を「日本の楽土見ん」に変更しました。一見小さな変更ですが、これは「京都の歌」を「日本全国の歌」に変えるという、コンテンツ戦略的な意思決定です💡
情報を「発見」して「編集」し「流通」させる──この3ステップは、現代のメディアやSNSでも有効な普及戦略です。池田先生がやったことは、まさにそれでした。
その後、池田先生は本部幹部会などの重要な会合で、扇子を片手に自ら指揮を執ることで有名になります。これを「池田大作の扇子踊り」と表現する人もいますが、学会内部では「指揮者」として解釈されていたようです。指揮者がいる歌は、聴衆に「共同体としての一体感」を与える──これも音楽心理学的に非常に合理的な手法です。
「パクリ」という言葉の使い方を考えてみる
ここで少し立ち止まって考えたいのですが、「パクリ」という言葉は、現代のインターネットではかなり感情的に使われがちです。
ただ、音楽の歴史を俯瞰すると:
・戦前〜戦後の日本では、メロディーの転用・替え歌は一般的だった
・著作権意識が現代ほど厳格ではなかった時代背景がある
・宗教歌謡・愛唱歌の文化では、旋律の再利用は珍しくない
この文脈で見ると、「威風堂々の歌」は「軍歌のパクリ」というよりも、「軍歌のメロディーを基盤にした、新しい目的のための楽曲」と表現する方が正確かもしれません。
もちろん、創価学会が公式に「作曲:不詳」としている点は、透明性の観点から議論の余地があります。これがネット上で「パクリ」と批判される主要因の一つである、というのは合理的な指摘です。
まとめ──データで見るとこうなる
✅「愛馬とともに」は1941年、「威風堂々の歌」は1955年と発表年に14年の差あり
✅メロディーは音程・リズム・節回しがほぼ一致(聴き比べで明確)
✅著作権的には現在も将来も問題なし(著作権切れ)
✅創価学会公式は「作曲:不詳」とし、元ネタを明言していない
✅池田大作先生は作曲者ではなく、歌詞の一部修正と全国普及を担った人物
✅当時の時代背景では軍歌メロディーの転用は珍しくなかった
今回この話題が2026年の今もSNSで話題になるのは、やはり「情報の非対称性」が残っているからだと思います。公式が曖昧な対応をしているほど、「なんか隠してるんじゃないか」という心理が働く──これはコミュニケーション戦略の失敗でもあります。
もし創価学会が「当時の時代背景でメロディーを参考にしたが、著作権上の問題はない。今では私たちの誇る学会歌だ」とオープンに発信すれば、ここまでの議論にはならなかったかもしれませんね😌
音楽は文化の鏡です。一つの旋律が、軍歌から宗教歌謡へ、戦争の時代から平和の祈りへ──そのメロディーが旅してきた歴史を考えると、なかなか奥深いものを感じます🎵
引き続き、気になるテーマを掘り下げていきます!
