サン・パウ病院

世界遺産です

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今回は、外観のみの観光です。

 

サン・パウ病院(Hospital de Sant Pau)の正式名称は、サンタ・クレウ・イ・サン・パウ病院と言い、その起源は古く1401年まで遡ります。

バルセロナでも屈指の大病院となる現在の形のサン・パウは1900年代初頭に6つの病院が一つに統合されたことによります。

今までの
施設では手狭となったサン・パウ病院を資金面で支えたのが当時の銀行家で富豪、そして慈善家のパウ・ジルでした。

彼の寄付をもとに1902年に増築工事が開始。病に伏した患者やその家族の心も癒す、と言うこれまでに無い病院が計画されそれに応えるべく設計を担当したのが、リュイス・ドメネク・イ・ムンタネーでした。

建設には途中さまざまな紆余曲折があり、当初の計画からかなり遅れることとなりましたが、着工後の28年にあたる1930年についに完成、2009年に老朽化により閉鎖されるまで80年に渡って病院として機能していました。
尚、この病院が同じくムンタネーによって設計されたカタルーニャ音楽堂と合わせ、バルセロナで2番目の世界遺産に登録されたのは1997年のことです 。 

 

(HPより)

 

 

 

 

 

サン・パウ病院を背に、反対側を向くと、1本道のガウディ通りで結ばれているサグラダファミリアが見えます。

 

 

その他、バスや徒歩で通りすがりの写真を載せます。

 

カサ・ミラ

世界遺産です

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今回は一瞬通り過ぎただけですが。

 

この建物はガウディが54歳の時に設計し、1905年から2年かけ実業家のペレ・ミラとその妻ルゼー・セギモンの邸宅兼集合住宅として建設されました。

カサ・ミラは他では見られない直線部分をまったく持たない建造物になっていて、壮麗で非常に印象的な建物です。それはあたかも砂丘か溶岩の波のような雰囲気をもっており、一般的な現代建築の様式とは隔絶したものとなっています。

建設当時のバルセロナ市民はカサ・ミラを醜悪な建物と考え、「石切場(ラ・ペドレラ)」というニックネームをつけましたが、今日ではバル セロナを代表する歴史的建造物となっており、1984年にユネスコの世界遺産に登録されました。

(HPより)

最上階にはガウディ作品に関する資料や模型などが展示されていて、屋上テラスやアパートの一部が見学できるそうです。

 

 

 

郵便ポスト

 

スペイン広場

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バスから見えただけです。

 

バルセロナ市内への入り口、そいて交通の要衝の広場の中心にはシンボルの像がありますが、ロータリーの中心で渡ることは出来ないそうです。

 

 

今はもう開催していない、闘牛場

2011年にカタルーニャ地方は闘牛が禁止になり、闘牛場からショッピング・センターへと変身。
 

ミロ公園の、ミロがデザインしたモニュメント

http://www.totteokiinfo.com/turismo/detalle.php?id_turismo=44

 

カタルーニャ州バルセロナ出身のジョアン・ミロの作品、女性と鳥の像は、22メートルの高さがあるそうです。

 

バスから見えました。

 

凱旋門

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今回は、バスで一瞬見えただけです。

 

188年にバルセロナで開催された万博の際にその会場であったシウダデーヤ公園へ続く入場門として地元カタルーニャの建築家Josep Vilasecaの設計により作られました。

有名なパリの凱旋門やヨーロッパの他の国のそれと違い、戦いの勝利を讃える物では無くあくまでも万博の為だった事もあり材料は安価なレンガできているのが特徴。また、建設当時に流行しバルセロナの他の建築にも多く見かけられる、アラブ文化の影響が濃いネオ・ムデハル様式で建てられています。

(HPより)

 

カタルーニャ広場の近くの百貨店。

エル・コルテ・イングレス El Corte Inglés

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ヨーロッパ最大、世界第4位の百貨店グループとして知られ、またスペイン唯一の百貨店チェーンの、エル・コルテ・イングレス(El Corte Inglés)。

 

少しだけお買い物しました(^^)/