11月5日に307のマロン(117系)が島根に行き、所属していた向日町の車庫には、みどりのマロンはみんないなくなりました。
よかったと少しでも思えることと言えば、もう毎日、今日は無事かな、と心配しなくてよくなったこと、それくらいです。ふと心に隙ができると涙に暮れてしまうので、いかに気を紛らすか、闘いの日々です。
どんな現実をつきつけられても、それでもまだ、みどりのマロンのどれかが復活してくれないか、弟の185系のように走ってくれないか、期待してしまう自分がいます。昨年4月にT1マロン(今梅小路に居る)が引退すると言われても信じられなかったし、その時点でもうすでにS3編成のマロンがいなくなっていることに気づいていませんでした。その頃は、6月以降、マロンが走らないかもしれないという噂もありました。結局10月のダイヤ改正で半分くらいに減らされました。その衝撃を救ってくれたのは草津線の楽しさでした。午後は草津線しか走らないからひたすら夜の草津線へ乗りに行きました。その草津線の運用が3月31日で終了と車内で聞くことになりました。聞いても信じられず翌日湖西線へ帰ったマロンはその後も1日1回くらいは走ってくれると期待していましたが来ませんでした。しかしすぐに倉敷の団体ツアーの報が入って、こうやって時々、いろんなところに行けるんだと信じました。京都エリアでマロンが走っていないこと、これからどうなるかという不安に耐えきれず岡山のマロンに会いに行きました。本当に素晴らしいマロンでした。きいろのマロンも、7月22日に定期運用を終えたあと2か月ほどでみんないなくなりました。
走らなくなってからは、みどりのマロンに向日町へよく会いに行きました。乗れなくても、不安でも、楽しかった。停まっていても、パワーがあるマロンでした。
ある日、いつになく帰りに涙があふれる日がありました。その数日後、定期運用が終わって初めて、マロンが吹田へ行きました。306のマロンでした。そのマロンは、草津線最後の3月31日、一緒に柘植まで行ったり、その後伊賀を旅したり、3月はほとんどその306の編成に乗っていたし、そういう思い入れもありましたが、とにかく何かが音を立てて崩れるような、なんとも言えないショックを受けて、体もおかしくなりました。9月16日に岡山にきいろのマロンがいなくなったことも重なりました。
普通は、ダイヤ改正の内容は事前に詳しく発表され、ラストランの日もわかります。コロナやその他の事情で特殊だったマロンたちは、いつどうなるのか知らされていないことが多く、その分不安でしたが、救われていた面が多いです。この過程を知らされていたら生きていけなかったかもしれません。
すでに2019年に、計画は発表されていて、いつかやってくる現実だとわかっていたとはいえ、とにかく現実とは思えません。あんなに楽しい世界というものは、この世の中、長くはつづきません、でもずっと一緒でした。この世知辛い世の中にそんなことがあるなんて、それは夢だったのか、今は夢から覚めて現実に戻ったのか、反対に今が悪夢を見ているだけなのか、わからない気持ちです。
目覚めると、マロンが走っていない世界だな、と思います。この世界はいつか来るとしても、生きている間に来てほしくない、くるべきでない、来ないようにするべきものでした。でもついに来てしまったのかなと少し思います。ただの電車なのになぜこんなに執着するのか、それはただの電車でないからということ、だからつらい人生を助けられたからということはわかっていても、不思議で、理解しきれないものがあります。
広島を走る京都の市電のように、ずっとずっと走るのが理想なので、T1マロンが梅小路に入って、そんなに奇跡的で幸せなことはないのに、素直に喜べなかったり、銀河マロンが走っているのに、もうマロンは走っていないと思うことが申し訳なさすぎたり、心が混乱して、絶望の淵にありました。
それを救ってくれたのは銀河マロンでした。
そして山口には、編成ごとマロンではないけれど確かにマロンが走っています。
なお希望をくれるマロンの存在とそれを実現してくださった方々に感謝しかない日々です。
これからはもっとたくさん新しい街をマロンと一緒に訪ねていけたらと思います。そしてたくさんの人にとってもそうであるよう祈ります。