なんとなく体調不良、全体に不調、お休み前に病院へ行っておいた方がいいかなと言う気持ちになる。如梅嬢と一緒に耳鼻咽喉科へ。

年末だから病院前はもちろん どの道も人がいっぱい。長い休みに入る前にちゃんと病院に行っておこうと考えるのだろう、何処も同じ。 
病院は大通り商店街のど真ん中にあり まるで商店のようだ。文字通り門前市をなす、という感じなので、名医という宣伝にはぴったり。目指す医院はあまりいっぱいで、同じ通りの宋診療所、というほうの内科小児科に行くことになった。ここでも最低1時間くらい待ちますと言われて400元 支払っておき、あとで出直すことにした。如梅さんが一緒に来てくれてやはり言葉の問題はおおきいので、いろいろと助かった。

郵便局に用事があるし、この間に行ってきますから、梅ちゃんは帰って、と言ったら、いいえ、私は村田サマとご一緒に日本語の練習をします、ときた。
崇徳路を歩いて、往復。途中おいしい店やいろいろの話で盛り上がった。
ここの滞在ご夫妻でも奥さんの方が、どうしても夫に対してストレスがたまり、不満が噴出するという話をしたら、信じられない様子でびっくりしていた。

奥さん方は、何もしないでいいという約束でついてきていても、やはり時にはうんざりしてひとりになりたくなるのだそうだ。みなさん、一人になりたい、自由が欲しい、と言ってくる。とはいえ、一人で海外に出かけてくる決心は 
結局のところ不安で実行できない。それはそれで彼女らの選択である、好むと好まざるとにかかわらず。
旅は 我慢できる間柄なら 二人の方が安上がりでいいし。
食事作りなど、自分が生きていく上では必要なのだから、女房が急死しても
(そうそう都合よく うるさい女房ほど急死などしない)
しっかり食べていける位の準備がないといけない。いざとなれば外食だっていいではないか。いつも女房がいるのが当たり前、[便利な時だけ?] 自分は勝手に自分だけの趣味に没頭、では相方から不満も出る。しかしそういう夫を長年かけて作ったのは夫の母と妻でしょう、これは自分たちが十分認めていた。

そんなことは私の問題ではないから自分に与えられた時間は 今はすべて自分のために使う、あえて誤解を恐れず言うなら あまり日本人の仕切る社会には外国にきてまで入りたくないのが本音である。が これはとりあえずしまっておく方が無難なので、もっぱら 忙しく駆け抜け、いつもできるだけ丁寧にご挨拶をしておくこと。

そうよね、梅ちゃんと私は50歳の年の差があるから、ちょっと通じない話だったのだ。

病院に戻るとーーーー
たくさんの患者さんが椅子に腰かけていた、ここは待合室あり。診察室は二つ、空いた順に入るからどちらの先生に当たるかは、決めていて予約でもして
いないとわからない。私は一番奥の劉先生、名刺には副院長、とあった。
(院長は日本の杏林大学出身とのこと)診察の途中から、なんだか急に言葉がよくわかるな――と隣に真剣な顔をしている梅ちゃんの方を見たら、彼女の方が困った顔になったのでやっと先生が英語を話しているのだと気がついた。

劉先生は耳も鼻も手早く鮮やかに検査しながら、目の前のモニターを一緒に見て、熱(は、入室する前に一瞬で測ってある)もないし、ほら、ここは大丈夫、耳も今はいいです、鼻汁の色、濃い黄色なら問題、と言われた。
うちでは風邪をひいた後、副鼻腔炎と言われて、昨年しばらく通っていたが、そのうちイタリア旅行出発の日が来てしまい、飛行機の離着陸の時の耳のほうが気になってその薬を戴いた後は 帰国後もつい行かなかった。
最近、ますますひどくなって、変に空気が突き抜けるような、スカスカ、鼻の中をいつも風が通りすぎたまま、いつまでも妙な感じが続いていた。頭も重くなってきて、ぐらぐら。どうしよう、どうしよう、と思っていたのだが、ここで一つ台湾病院を体験しよう、保険には入ってこなかったが 行く気になったのであった。

台湾では街のお医者さんにかかっている限り、帰国後保険請求する手間(は面倒)、代金がとても安くて、保険金を払ったのがばかばかしくなったから、今回は入らなかった。人によっては これはいけないとおっしゃるでしょう。
私もほぼ毎回必ず入っていたのだ、今までは。
がとにかく、診察室での会話――――先生は、3日だけ薬、出します、それで直らなかったら、またきてください、とはっきりおっしゃった。4錠が一袋に入っていて、それが一日3回、
あとは、眠れないそうですね、朝晩だけそのための薬を出しておきます、と言われて、2錠×3日分。
ただしこの薬を飲むとほんとに眠くなるし、意識も朦朧とします、と言われて、ちょっとドキン、そんな状態 好きじゃない。

「それでいいですか」と聞かれ、仕方ない、ここは自分で決めて返事しなくちゃ。。。。 で、眠くなったら、「いつでも、昼間でも、どこでも眠っていいですか」と聞いたら、「OK」
全然問題ないと言われたので 「では――お願いします」
これで終わり。とても話が早かった。
まさか スーパーで買い物中 眠気が襲ってきてその場でぐっすり、ではないでしょう、いくら急に眠くなるといわれても?ナルコレプシーではあるまいし。

わかりやすくて、効果の程は知らないが、とにかく先生を信じて、処方されたからには、(こっちも承知したのだし)三日間何も言わずに飲んでみることに
した。何しろ働き盛りの(全然やせていない)気力一杯の、おいしいものを
おいしく食べているような先生様のおっしゃることだ、健康そのもの、美食家風の体格を信頼して お辞儀をして出てきた。

そういえば朝ここを通った時ジーンズをはいた白人老人がやはり台湾人女性の通訳さんと一緒に中にいるのが見えたっけ。

どうしようもなく苦しい病気と違って周りをきょろきょろする余裕がある。
先生の背後には幼い子供さんの絵と思しきクレヨン?(今はないのか)クレパス画が数枚貼ってあり結構、和みの雰囲気であった。モニターが自分の画像を写しているのにやはり注意力散漫だ。しかし日本の医者様と違って、権威的な上下関係が少ない所がいい。 

今回、守ってほしいのは、コーヒーお茶 絶対だめです やめてね。
え? いつまで?  眠れないうちはずっと――  と言われて少しがっかりしたが無事に終わって いい気分で出てきた。

梅ちゃんはやっと仕事に戻れる。お昼だから一緒に食べましょう、なんでも好きなものを言って、というのに、お弁当をスタッフと一緒に朝 頼んでしまったというのだ。一人で天滋素食、というなんだか仏様くさい素食屋に入った。梅ちゃん、最後まで見届けるぞ と言わんばかり、注文してテーブルに届くまで気を配り、高いですか?と値段まで心配するから、いいえーーーとんでもないといっていつも似たような食事だが、一応デジカメに撮った。

後でスタッフの皆さんに梅ちゃんをこんな時間に長時間、お借りしてしまいすみません、でもほんとに助かりました、彼女がいなかったらやはり病院の手続きなど、薬局でも困ったと思うと言ったら、嬉しそうに、我々の仕事ですから―――などと如才ない。

病院の薬だがーーーー  
一回目は早速天滋素食の店で昼食後すぐ飲んだ。
これを飲んでいるうちはずっと、結構苦しかった。 頭はぼうっとするし、もしかしたら合わないのではないか、いや、薬だから、おいしいはずはないし、とにかく3日、何かあっても3日分くらいなら重症に変わることにまずないだろうし、先生を信じて――――え―― でも もし相変わらずだったら、また行くのかなぁ、「その時はまた来てください」と言っていたし。
朝晩の薬も忠実に飲むことは飲むのだが、 ―――などと くどくど迷う。
軟弱者――――――。

ちょっともやもやしてしまうのだ。 朦朧とするのもお言葉どおりだった。
明日はよく休もう。ニコニコ
全国大飯店にはタクシーで15分くらいか130元だった。余裕を持って着いたのでじっくりホテルのお正月の飾りやなんとなく華やいだ雰囲気を味わえた。

ロビーでしばらく座っていると、手を振りながらニコニコと淑恵先生が地下からの階段を上がっていらした。ホテル内のラウンジでお茶をごちそうになり、そのあとはまた会議室にもお邪魔した。美容用品や埔里のおいしい水や、塩、前回 絶大の人気のあったフェイシャルパックなどもあって手広く諸商品を扱っている――――
エステも薦められ、名刺を有名な美容院の社長さんからいただいたけれど、こんなバーさんでは申し訳ないからパス。

私はお塩が一番ほしいなぁ。ニコニコ


前回 きのこ大王とあだ名をつけてしまった淑恵さんのお仕事仲間の懐かしいお顔も会議室にあって、今晩一緒にお食事しましょう、ときた。

いやーー
ごかんべん、彼らの豪快な食べっぷり、この前、十分に驚いたので、こんな豪傑と同席したら、胃拡張で入院だ。お気持ちだけありがたくお受けしてお礼を言っておいたが、じゃ、まだ当分振英會館にご滞在なら、改めて電話します、またその時お食事しましょう(日本の大学出だから、台湾人でも日本人よりも立派な日本語!)とおっしゃったが、多分私は留守ですよーーーーーー♪

淑恵さんからはこの前も日本軍に大好評だった 自慢の製品たフェイシャルパック!ビックリマーク
この効果は確かに絶大で、もうエステは卒業、と言っても家でのんびりできて抜群の品となると! ありがたく頂戴いたしました。

淑恵さんの埔里鎮の住所を戴く。埔里中心からさらに3キロあるとのことだ。

台中駅からの行き方をそれは丁寧に教えてくださった。バスがかなり頻繁に出ているから、大丈夫。埔里のタクシーは乗る前に値段の交渉がいるそうだ。

そのうち駅まで出かけてバスターミナルくを偵察してこようと思う。