★拡張型心筋症・重度脳委縮 発生時の回想記 ☆3 | かや&とものブログ

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拡張型心筋症+WPW症候群+重度脳萎縮+難治性てんかんを患う4歳の息子を中心にしたブログです。

DICは克服し、一命をとりとめほっとした頃、今度は肺から出血しはじめていた。

肺から出血すると、それが気管支に詰まって場合によっては窒息死する



人工呼吸をしていると、2時間おきに呼吸器内に長い管を入れ、定期的に痰を吸い上げなければならない。


夜中も勿論だ。かつ、本人が「ゴホン」と咳をして、痰を出さなければ、


長い管を入れても吸い上げる事が出来ない。


咳払いは医者や看護婦が息子の体全身を揺すって、嘔吐するような感覚を与えないとでて来ない。

激しく揺すられて、咳払いをして、管が入って、血が上がってくる




24時間を息子の隣で過ごしていたが、この姿だけは直視出来ずにいた。

子どもの姿を見ては泣くしかなかった私に、


医師は「泣いてる場合じゃないんだよ、お母さん。私も、看護婦達も、必死でやってるんだよ」と訴えてきた。


内心、「でも涙が勝手にでるんだよ!」と思ったけど、そう言われた瞬間から、


自分以外の回りに目が向くようになった。


毎日、夜中まで帰らず見守る医師、看護婦、私は一番そばにいるのに、何をやっていたのだろう。と、


情けなくなった。




更には他の難病を持つ子供の母親も居た。


自分だけが一番悲劇の母親だと思い込んでいた。


でも、皆それぞれに抱える苦しみがあって、どちらが大きいか小さいのかなんてないのだ




気がつけば一月が過ぎようとしている。

全身の発疹は無くなったけど、熱が高く、それは一月経っても治らなかった。


解熱剤を入れようとすると、血圧が下がり、命の危険があるため、毎日全身を氷枕で冷やしていた。


2月の寒いなかなのに。それでも毎日、38~9℃の熱は下がらなかった




息子の熱の原因は何なのか。




心臓病の治療より、そちらを一刻も早く解明しないといけなかった。




そこで、長崎大学、久留米大学、その他様々な研究機関に血液を送り、検査を依頼していた。


一月たった頃、漸く一つのウイルスの陽性が出た。それは「サイトメガロウイルス」というもの。


更に、血球貪食症候群という状態に陥っている事が判明した。











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↑人工呼吸器管理にして数日後。足元に7本、手前の棒?に3本、頭に1本(その後2本)


の点滴でした。とにかく、異常な数の点滴でした。




点滴の液が切れる前と、切れた後にそれを知らせる音が鳴り響き、それが×12本分


更には 血圧や、脈拍、心拍数も上がったり、さがったりするたびに音がなるため


夜中も同じ病室にいてなかなか眠れなかったものです。




ですが、1か月もそこで暮していると慣れてくるんですあせる