いま思う事を…。

1年前は1歳児と息子の入学準備と引越の騒ぎで、こうして気持ちをまとめて文にする事ができませんでした。
やっと少し色々な考えをまとめられそうです。

先ほどNHKの番組で、「風化をさせない」と言いながら、「風化したと言う報道の多さ」に憤りを感じてしまったりもしました。そんな事を報道して喜ぶのは、多数票に安心する何も考えてない人だけだわ…と…。

私には逆にその実感はありません。
今、新聞でも毎日被災した方の声を見ますし、今でも発見されてやっと家族の元に戻れたという情報も聞きます。
2年経って、むしろ積極的に読むようになりました。

「風化させない」のならば、「風化したと思ってない人」…例えそれが少人数だとしても…そこをクローズアップしなくてはならないのではないかと思います。
忘れる瞬間があっても、すっかり忘れ去ってしまう事なんて有り得ない。
忘れたい程の悪夢のような現実だったかもしれないけど、本当に忘れてしまおうなんて思うはずがなく…。

今までは、被害状況や辛い出来事を報道などで知ることが、どこか悲しみに土足で上がるような気がして、躊躇っていた部分もありました…。
でも…、やっと2年経って、これは記憶として知っておくべきことなのだと…思えるようになりました。

被災地の人があの直後から、対面し受け止め続けてきた色々な辛い死の、ほんのほんのわずかだけど自分も見ることが出来る気がします。…やっと2年も経ってから…だけど…。
…その度に涙は出てしまうのですが…。
でも、その悲しみにどこかで一緒に泣いてる人がいる…って言うのもきっと悪いことじゃない…と思えるようにもなりました。

今でもちゃんと…そう思わせてくれているものは、まだ酷い余震で震える中、メッセージをくれた仙台のお友達のお陰だと思っています。
あの時、一生懸命伝えてくれた現地からの数少ないリアルなオンラインが、ずっと変わらずに東北を思う道しるべを作ってくれたと思っています。

拙い物資をとても喜んでくれた事も、送ったものをちゃんと困ってる方とを結んでくれた事も…。
今でもその経験が被災地に目を向けさせてくれてると思います。

今でも被災地産の物にこだわって買い物するようにしています。
質の良いものが、たくさんあってそうしたいから、そうしているだけ…なのですけれど…。

何も出来ないから忘れちゃうのじゃなくて、何も出来ないから、せめて忘れないように…、発信してくれたものを受け取る。忘れないようにどんどん近づいて行けばいい。

その内容が、困ってる事や悲しい事だけじゃなくてもいい…なんでもいいから積極的に見ていこうと、今日改めて思い直した所です。


上手にまとまらなかったですが…今、思う事でした。