※注意※

 

内容がとても暗いです。

 

闘病中の方

 

またはその家族の方には

 

辛い内容になるかもしれません。

 

ストレスになりそうな方は

 

読むのをお控え下さい。

 

 

 

いつもお腹がポッコリしていた母の記憶

子宮筋腫 お腹が膨らむ ブログ
 
母が太っていたのもありますが、
 
私が小学生の頃から
 
記憶にある母は
 
いつもお腹がポッコリしていました。
 
 
高学年ぐらいになって、それが
 
子宮筋腫があるため
 
だと知りました。
 
 
病院に行かなかったのは
 
経済的な理由もあると思いますが、
 
入院になったら父に
 
家のことを任せておけない事(母談)と
 
母自身、手術が怖かったのでしょうね。
 
 

膨らむお腹と鼠径部のしこり

 

 

私が中学3年生になる頃には、

 

ますます母のお腹は大きくなっていました。

 

 

体型が邪魔をしていたのもありますが

 

怖いもので慣れるんですよね、

 

それが普通の母に見えていました。

 

 

ある日、母が

 

「これ何だろう?」 

 

と言い始めたのが鼠径部のしこり・・・

 

 

今ならわかるんです、

 

その怖さが。

 

 

当時はゴルフボール以上のそれを見ても

 

「何だろうね?

 

病院行ったほうがいいんじゃない?」

 

と言うぐらいでした。

 

 

痛みはなく、

 

掴んで左右に動かせるようなしこり・・・

 

母はまた色々理由を付けて

 

病院には行きませんでした。

 

子宮筋腫・鼠径部のしこりから約6年後

 

17歳から母とは離れて暮らしていました。

 

 

連絡は頻繁にとっていたんですが

 

記憶が曖昧で、覚えてない部分が多いな・・・

 

 

恐らく閉経してるのに出血が続いたことで

 

病院に行ったんだと思います。

 

 

私が20歳を過ぎた頃なので、母は56歳あたりかな?

 

 

そこで子宮体がんとわかり、

 

私の家の近くの病院で手術をすることになりました。

 

 

ポッコリお腹の子宮筋腫から10年以上・・・子宮体がんに

 

子宮体がん しこり ブログ

 

 

母はさっき書いた通り肥満体型、

 

手術前後は糖尿病で血糖コントロールも

 

していた記憶があるので、

 

子宮体がんになりやすい状態だったんでしょう。

 

※子宮体がんについてあまり知らないので

間違いがあるかもしれません・・・

 

 

子宮筋腫子宮体がんは

 

関係があるのかわかりませんが、

 

手術(子宮全摘)で母のお腹から出てきたのは、

 

新生児の頭ぐらいの塊でした。

 

(実際見せてもらいました)

 

 

母の主治医が

 

「新生児の頭ぐらいある!」

 

とビックリしていたのを覚えています。

 

 

その後、抗がん剤を何回かして

 

退院しました。

 

頭はツルツルだったけど

 

母はとても元気だったし、

 

悪いものは取ったので

 

もう大丈夫かな?

 

と安心していました。

 

 

ここからまた離れて暮らすんですが

 

「定期検診はしっかり受けるように!」

 

と口酸っぱく言い、

 

実際きちんと行ってたんですがね・・・

 

数年後、

 

色々あって行かなくなってしまいました。

 

 

子宮全摘から約7年経って・・・

 

私自身が自分のガンと子供のガンの

 

色々な情報を探しているので、

 

子宮体がんの情報を探してる方のために

 

正確な手術内容や薬剤名を書きたいのですが、

 

当時自分がキーパーソンだったにも関わらず

 

ほとんど覚えていません・・・

 

当時の資料を残していたら良かったんですけどね・・・

 

それも残っていません。。

 

 

7年ほど経つと

 

母が腰の痛みを訴えるようになりました。

 

 

てっきり年齢的なことだと思っていたんですが、

 

それが再発だったんです。

 

厳密には腫瘍を病理検査には出していないので

 

原発巣不明なのですが・・・

 

 

背骨への転移でした。

 

 

当時の母は病気とは関係の無いことで

 

かなりのストレスがあり、

 

小さな診療所では胃潰瘍か何かと言われ、

 

吐血まではいかないものの

 

唾液?痰?に血が混ざる、と言っていたので

 

何かガンと関係があったのかなぁ・・・

 

と今になって思います。

 

 

一時的だったので関係が無いにしても

 

癌はストレスが良くないと言いますし

 

身体に良くない状況だったのは確か。

 

 

背骨の痛みの原因を詳しく調べるために

 

PET CTをとることになりました。

 

再発末期ガン・全身転移・余命宣告

 

子宮体がん 全身転移 ブログ

 

 

PET CTの結果は・・・

 

 

骨・肺・脳に至るまで

 

全身にガンが転移していました。

 

 

先生に呼び出され

 

 

「何も治療をしなければ

 

余命数ヶ月です」

 

 

そう言われて、

 

生まれて初めての感覚に

 

襲われました。

 

 

まず数ヶ月って一体何カ月なんだろう?

 

と思って調べました。

 

 

数ヶ月とは大体3~4ヶ月の

 

ことを指すらしく、

 

その日の夜

 

見事に過呼吸になりました。

 

 

ここまで読んでくれた方は

 

違和感を覚えたかもしれませんが、

 

私と母以外の家族が登場してませんよね。

 

 

私には父もいるし兄もいるんですが

 

一家離散のような状態、

 

この時はあまり関係も良くなく

 

 

母は唯一の頼れる家族

 

 

という認識でした。

 

 

そんな母が居なくなるかもしれない・・・

 

 

その恐怖は、

 

当時29歳になっていた私でも

 

耐えられないもので、

 

 

この世で一人ぼっちになる

 

私を産んだ人が消える

 

 

そんな感情が心を押し潰し

 

気がつくと上手く息ができなくなっていました。

 

 

当時付き合っていた夫がいなかったら

 

どうなっていたのか・・・

 

 

母親の偉大さを思い知った瞬間でした。

 

生きることを諦めない!!

 
母には余命のことを隠し
 
抗がん剤をスタートしました。
 
すごく心配性で怖がりな母でしたから
 
とてもじゃないけど余命なんて
 
言えませんでした。
 
 
私自身、心のどこかで
 
治療すれば治るかもしれない
 
という希望を持っていました。
 
 
再発発覚当時は、
 
背骨の腫瘍に神経が圧迫されて
 
歩けなくなり、
 
自力で排便も難しい状態に・・・
 
 
担当の男性看護師の方に
 
トイレで摘便(肛門から指で便をかき出す)
 
されている姿は
 
何とも言えない気持ちでしたが、
 
(凄く痛がっていたので・・・)
 
 
抗がん剤をしたら
 
杖を使って歩けるようになり、
 
住んでるアパートに戻ることも
 
できました。
 
 
夫の運転する車で
 
母を好きな海へ連れ出せたのも
 
この時期でした。
 
 
多少無理をしてでも
 
この時
 
ずっと帰りたがっていた
 
母の故郷へ連れて行って
 
あげるべきだったな・・・
 
 
この後また歩けなくなったので、
 
今もずっと後悔しています。
 
 

進行するガンと放射線・緩和ケア

 
子宮体がん 再発 放射線
 
 
本人の強い希望で、
 
訪問看護やヘルパーさんに入ってもらいながら
 
寝たきりになっても一人暮らしを続けていました。
 
 
アパートで過ごせたのが2ヶ月弱・・・
 
しかし背中の痛みが増して再入院になりました。
 
 
まだ使える抗がん剤はあるが
 
効く可能性は低いと言われ、
 
「抗がん剤をしても効くかわからないみたい」
 
と母に伝えると、
 
 
抗がん剤は辛い
 
もう抗がん剤治療はしたくない
 
 
とのことで、
 
痛みを和らげることがメインになりました。
 
 
私はまだ諦めきれなくて
 
少しでも腫瘍が小さくなるならと、
 
先生に放射線治療をお願いしました。
 
 
痛みにも少しは効いたのかも
 
しれませんが、
 
この放射線治療が胸水が溜まる
 
きっかけになってしまったと思っています。
 
 

たくさんの後悔・・・

 
子宮体がん 末期 ブログ
 
その後、母はアパートに戻ることなく
 
介護付き住宅に入りました。
 
 
亡くなる少し前まではステロイドのお陰で
 
ケーキを食べたりもできていました。
 
 
胸水が溜まり、声が出にくくなっても
 
まだ冗談めいた事を言ったり
 
とても元気に見えたんです。
 
 
私は妊娠7ヶ月だったかな・・・
 
順番が逆になったけど結婚し、
 
ずっと心配をかけていた母を
 
安心させることができたはずで。
 
 
このままの状態でいてくれたら、
 
あと2ヶ月で赤ちゃんが大好きだった母に
 
初孫を抱かせてあげられる・・・
 
 
胸水で酸素濃度が下がり、
 
「溺れている状態に近い」
 
と往診の先生に言われても、
 
 
まだ生きていて欲しいと願っていました。
 
 
モルヒネを使うようになると
 
オキシコンチンやリリカ等の薬も
 
必要なくなり
 
眠る時間が増え・・・
 
 
 
ある日、私は
 
携帯電話を忘れて外出していました。
 
 
携帯を忘れたことなんて
 
人生で数回しか無いのに
 
この日に限って忘れてしまいました。
 
 
 
帰ると母から着信が残っていて・・・
 
 
 
すぐにかけ直したのですが
 
その頃はよく眠っていたり
 
着信音に気がつかなかったり
 
電話に出ないことが大半で、
 
この時も出ませんでした。
 
 
もう夜でしたが、施設に電話をすると
 
今は眠っているとの事で
 
「では明日また会いに伺います」
 
と電話を切りました。
 
 
 
しかし夜中に施設から電話があり・・・
 
 
駆けつけた時には
 
もう亡くなっていました。
 
 
せめて間にあっていれば・・・
 
あの時すぐに会いにいっていれば・・・
 
 
電話で母が何を伝えようとしていたのか
 
今でも気になって仕方ありません。
 
 
入籍から3日後・・・
 
私の誕生日の3日前に
 
母は帰らぬ人となりました。
 
 
私に家族ができるのを
待っていてくれたのかな
 
 
勝手にそう思ったりしますが
 
実際はそんなの綺麗事で・・・
 
 
 
もっと母を大事にできたはずなのに
 
最後まで母に甘え
 
辛く当たってばかり。
 
 
色々と物を増やしたがる母に
 
そんなに増やないでよ!!
お母さんがいなくなった後に
誰が片付けると思ってるの!!
 
 
こんなひどい事よく言えたなと・・・
 
後悔しかありません。
 
 
 

懐かしい母の思い出

子宮体がん 子宮筋腫 ブログ
 
あんなに色々と
 
イライラしてばかりの毎日だったのに
 
思い出すのは・・・
 
 
冬の寒い日、
 
自転車の後ろに乗っていると
 
 
お母さんの背中に
 
手入れてみて!
 
ほら、暖かいでしょ!」
 
 
そう言ってくれた
 
幼い頃の優しい穏やかで
 
大好きだった母の姿。
 
 
今もそんな風に
 
優しい笑顔で私達のこと
 
見守ってくれていたら嬉しいな。
 
 
最後の電話に出たかった、
 
最後に話したかったよ。
 
大事にできなくてごめんね。
 
お母さん大好きだよ。
 
 

それから6年が経って・・・

母の生まれ変わり そっくり
 
 
2019年、次女が産まれたんですが、
 
次女は私達夫婦に全然似ていません。
 
 
産まれた瞬間から、夫と
 
「え?誰似!?」
 
と驚いたほど似ていません(笑)
 
 
しかし母の小さい時の写真を見てみると
 
次女は母に似ていたんです。
 
 
兄のことを大事に大事にしてきた
 
母だから
 
きっと兄を心配して戻ってきたのかな?
 
と思いました。
 
 
今は時々兄にも会っています。
 
 
お母さん安心した??
 
今度の人生は
 
私が絶対幸せにしてあげるからね照れ!!
 
 
 
大好きな母へ 天国への手紙  
 
 
 
最近病院に行く時に
ラジオから流れてきたゴスペラーズの
 
「over&over」という曲。

 

終わらない旅が続く意味を知る・・・

 

なんかグッときちゃいましたラブラブ

うん、頑張ろう。

 

 

 

 

  オリジナルブログでは
小児がんの娘と私の癌に関して書いています。