画像追加☆狭間と汽水域  ブログイメージ見てもらいました | 手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

神・仏・天使。そして、「あなた」の光を、緋呂が描きます。陰陽併せ持つ「人間」の中に、すべては在る。
描くべきもの、進むべき道。すべては、手が知っています。

松原さん系の方の記事から、気を視描くゆ~@相田友一様に、私のブログイメージってのを見ていただきました。

ブログイメージってのは、ゆ~さんが「ブログを開き、2~3の記事を読んで、<エネルギーをヴィジョン化する強み>を使って、ブログの持つエネルギーを視て、文章で伝える」という試みだそうです。
目下検証中とのことで、見てもらう条件は、読者登録と感想の提供。

感想集を拝見すると、なかなか面白そうなんで、お願いしてみることにしました。

なんか、すでに何度か私のブログは読んでいただいていたようです。
松原セミナー受けてるし、この前のブロック解除セッションの記事とか書いてるからね。
なるほど…ですね。



で。
いただいた「ブログイメージ」は、以下の通り。

あ…一つ、先にお断りしときます。
体感型の強い方で、イメージをすぐに体感としてキャッチしてしまう方はちょっとご注意ください。
苦しくなるかも。
なったら、もうこの記事は読まない方がいいかもね。

では。
暗闇でフラッシュがパシャっと炊かれためまいがする感じが断続的に続く情景です。首絞められて、窒息しそうになった時に見える感じにも似ているというか。。例えにくい。 生と死の狭間とか、意識がなくなったり、感覚がなくなる瞬間。が、採光さんの普通なのか・?もしれません。(あくまで、私の解釈ですが・・、思い当たる節があれば逆に教えて欲しい・。)




ふむ。
なかなか。
面白い。
(なんとなく、福山ガリレオ風に~)


ちょっと懸念があったので、お礼メッセージに書き添えさせていただきましたところ、すぐにお返事いただきました。
無用な心配だったようで、ひとまず安心。
いや、比喩だろうな多分…って思ったんだけどね。
首しめられて窒息…ってのを、もし、ひょっとして、体感でイメージされちゃったら、メッチャ申しわけないじゃん(^_^;)
そういう方を実際存じ上げておりますんで…ちょっと心配になっちゃって。

あと、細かいことでお聞きしてみたことがあったんですが、それにもしっかりお返事くださいました。
後ほど、ご紹介させていただきますね~。




さて。
「思い当たる節があれば逆に教えて欲しい」とのことで。
まあ、言われなくても、こんな面白いネタが来たら考えないわけないし(笑)


一応生きてる人間なので、「生と死の狭間とか、意識がなくなったり、感覚がなくなる瞬間」てのが、私の普通なの?ってことに関しては、わかりません。
それが普通である人間が存在できるとして…で、それが普通だったら、言われても「はあ?」ってことになるでしょう。
それは、松原さんが言われる「強みは自覚がない」というのと同じ状態ですね。

なので…たぶん、さすがに、それが私の普通ってことは、ないと思います。

が。
確かに、その「狭間」の感じってのは。
わかる。

これは、以前にも指摘を受けたことがあるんです。
46年生きてきて、たった一人だけでした。
ゆ~さんは、二人目ってことに。
たかが二年の間にそれを指摘する方に二人も出会うって、スゴイことだよな~。
いや、ほんと。
世界は広くてスゴイ。

その指摘をした人は、前述の、体感型の人です。
だから、余計、もしかして、ゆ~さんも窒息の感覚があったのかも…って思ってしまいまして。
さすがに、それはなかったようです。
よかったよかった。


狭間…いろんな事象の狭間に居る…っていうのは。
私も、確かに、自覚がある部分は、あります。

私は「狭間」というよりは「汽水域」だと感じてるんだけど。
狭間と汽水域って、似てるけど違うからなあ。

狭間…というと、何かと何かの隙間で、どちらかっていうと「本来は存在しない場所」っぽいんじゃないかな。

でも、汽水域ってのは淡水と海水が混じり合う区域のことで、どちらの属性も併せ持つ領域、という感覚。

つまりは。
光も闇も、善も悪も、陰も陽も、いろんな「二元」の、中間…っていうイメージです。
果てしなくグレーな部分で。
ちょっとだけ動くだけで、すぐ、どちらの要素を強くすることも可能。

自分の軸がグラグラしている時は、かなり危なっかしい。

軸…というよりは、この場合は「原点」かな。
座標0の地点。

北極星みたいに、座標0の地点に「自分」のポイントがちゃんとあれば、どの座標へ行っても、位置を見失うってことは無くなる。
そこがしっかりしてれば、自由に両方を行き来できるから、幅はあるかも知れない。
その代わり、「得体が知れない」とか「わかりにくい」とか「掴めない」とか、しょっちゅう言われるわけですけどね(笑)


前に「狭間」の指摘をいただいた時は、私もまだ自己イメージが微妙で、原点0の位置もわからなかったし、「汽水域」イメージにも至っていませんでしたので、それを話すこともできなかったけど。


で、「感覚がなくなる瞬間」というのも、「狭間」を指摘した人には、よく言われていました。

私と話をしてたり、書いたものを読んだりしていると、感覚がなくなる…って。

まあ、それはその方の体感なので、私にはよくわからない感覚ではあります。
発している私自身は、そういうことはないわけだからね。

ただし。
私は比較的最近まで、自分の感情の在処ってのがわからなくなっていたヤツですから。
それも、かなり長く、その状態で生きてましたからね。
それに気がつくことさえなく。

自分の魂の声ってのを、聞くのをやめ、聞こうとするのもやめ、やめたことを意識することさえやめてました。

声を聴かないどころか、魂と分離してたかも知れない。

そう思えば、確かに、「狭間」に居たってことになるのか…うん、そうかも。




「暗闇でフラッシュがパシャっと炊かれためまいがする感じが断続的に続く情景」

そうですね。
すごく早回しで見ると、そうかも知れない。

私のヒーリングの師匠から、
「あなたはミカエルの時とルシファーの時とが頻繁に入れ替わるから、見ている人は、どっちが本当なのか戸惑ってしまう。どっちも本当だしそれでいいのだけど、なかなか人には理解されないかも知れないね」
と、言われました。

私自身には、「入れ替わる」という感覚すらなく。
その時々で感じたこと考えたことが、どっち側により近いか…という問題なだけなんですけど。
傍目には、入れ替わるように見えるかも知れない。

で、その様子を早回しで眺めることができたら…確かに、ゆ~さんの表現のように、なるのかも。




今、私が「うーむ」って感じることは…ですね。

人間、そうそう芯の部分は変わらんのだな~

ってこと。


去年の前半から夏くらいまでにかけて、非常にいろんな観念が変化変容した時期がありました。
今去年を振り返ると、相当、いろいろ思うことも変わったなあ…って思うんです。
が。
根本的な世界観自体は、やはり、変わってないわけです。

それを端的に、客観的に、見せていただいた気分。





ゆ~さんにお聞きしたことと、そのお返事。
転載許可いただいたので、ご紹介します。


Q:読む記事によっても、受け取るイメージは変わるのですか?

A:変わるでしょうね。ブログのヘッダが変わっても、変わると思います。
変な話、事務の方に、告知文等を入れてもらったりしてた場合には、事務の方のイメージと混ざるかもしれません。たくさん読めば読むほど、その人の本質に近い物が視えるのかなと、思います。


てことです。

で、今日上がってた…おそらく、ゆ~さんが読まれたであろう記事ってのは。
昨日の伊勢ツアーのレポ。

ここまでに書いたことを踏まえて、自分の記事読み返してみました。




ふーむ…。
月夜見宮のレポの、「月とは常に態様の移り変わるもの」ってところ。
それこそ、これ。
「狭間」や「汽水域」の状態そのものやね。


それから、記事の中に書いている、見えない方達の私のイメージ。
これ…確かに、視覚や体感で掴む方には、
「暗闇でフラッシュがパシャっと炊かれためまいがする感じが断続的に続く情景」
かも知れない。


まあ、ゆ~さんが、実際にはどれを読まれたかわかりませんし。
そういう風に、細かい文脈などからのイメージで上の囲み中のメッセージを下さったのではない…って、思います。
もっと、全体のエネルギーを感じてのことだろうと。


だからさ。
結局のところ。

混沌

なんですよ。

先日書いた、こちらの記事
「原初の強み」

その記事中の、これ。

玉石混淆であり。
清濁混在であり。
光も闇も未分化であり。
善でも在り悪でも在り。
薬でも毒でもあり。

私の中の混沌の海とは、そんな場所。

「意思」が、在る。

この次何を紙の上に形作るか…という、意思。

その意思が動くと、混沌の海の中にあるその要素が、磁石に引き寄せられるかのように、集まってくる。
時には、その集まってきている段階から絵が始まることもある。
集まったものがある程度配置を終え、色彩が分化して見えてくるあたりから、絵が始まることもある。

私は自分の中の海…世界から、その外にある海、世界にまで磁界を広げて、外からも要素を収集できる。
それが、「あなたの中の光を描く」として描かれる、お客様の絵だ。

収集してきたものが神の要素なら、神の絵。
天使の要素なら、天使の絵。

文字として書くものも、プロセスは同じ。



なるほどな。
この混沌の海は濃度が高いから。
人によっては、窒息しそうな感覚になるかも知れない。
はっきりしないし。
得体も知れない。

ただし。

私は、そういう自分ってものが、一番だと思ってるんですわ~(笑)
だから、また次のところへ行きたくなるまで、この混沌の海に棲みます。



しかし、スゴイですねえ。
さすが「強みを使って」というだけのことはある。

私は以前、松原さんの強み発掘コンサルを受けた時、

・細部から全体を構築する
・在るように見えるように世界観を見せる
・瞬間的に検索結果を取り出す「超高速三次元Google」

と、認定(笑)されました。

そして、松原理論の「強み」は本人の自覚がない…というセオリーに反し。
全部、知ってました。
松原さんも、それがわかりました。
だから
「あなたのような人には初めて会いました。たぶん、あなたのような人は僕のコンサルを受けに来ないからでしょう」
と(笑)

うん、そのコトバも、よくわかります(笑)


たぶん、セオリー通りに、自分で自覚できない強みってのは、いろいろあるんだろうな~と思う。
思うけど、とりあえず自分でも十分わかっている強み…上に書いた項目のうち、上の二つは、まさに「物語構築」という原初の強みをばっちり言い当ててる。

さて。
この強みは、もっと普通に、実生活に…仕事に、活かせないものだろうか。

(確か、前の強み発掘コンサルの時、「強みから見た時に向いているのはマンガ家や小説家」って言われたっけなあwww)


これを使って、何か、人様との相互関係で成り立つ「仕事のスタイル」が、できないもんだろうか。

ふむ。

考えてみよう。



…って、最後は感想記事じゃなくなってしまいました。

ということで。
ゆ~さんの、ブログイメージをいただいての感想でした。

読者登録すると、イメージ伝えていただけますよ。
いかがですか?

一応、こちらもお読みくださいね~。
「ブログイメージの注意事項!」

(この記事読んで「見てもらおう~」って思うヤツいるんかな…www)



【3/20追記】
ゆ~さんの感想集約記事にリンクしてもらったんだけど。
オモロイ。
$手が知っている +天上絵師 彩光 (Ayako)+神様や天使たちと共に描くパワーアート