思い出 | 手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

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神・仏・天使。そして、「あなた」の光を、緋呂が描きます。陰陽併せ持つ「人間」の中に、すべては在る。
描くべきもの、進むべき道。すべては、手が知っています。

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あるイベントの席で、参加者一人一人に違った問いが手渡された。
上は、私がもらった問い。


この質問をもらった時。

内心、非常に困った。


思い出って、何?

過去の経験なら、そりゃあこのトシだから、それなりにある。

でも。

思い出?

それも、「超うれしかった思い出」


普通ならね。
結婚式のこととか。
子ども産んだ時のこととか。
思うのだろうな、と思うのだけど。

私は、過去のことって、それぞれ等し並みに「通ってきたこと」と捉えているので。

とても、返答に困った。


人生の節目はいくつもあった。

確かに、嬉しかったことは、いろいろある。


でも…私は、「思い出」という概念を、特に持っていないのだ。


写真も、ブログを書くようになってよく撮るようになったが。
思い出のためではない。

昔も、写真を撮ることは割と好きだったけど。
思い出のためではない。

子ども達の写真も、私は…ダンナもそういう感じの人だったから、ほんの赤ちゃんの頃に撮っていたけど、特に熱心でもないし。
なんせ整理もしていないくらいだ。

結婚式?
親戚が写真の会社にいたこともあって、すごく立派なアルバムを作ってもらったけど。
私が望んだことではなかったし、ダンナもそうだったので。
私達自身が自分でそれを開いたことは、一度もない。


学生時代のことも。
写真を見て懐かしむようなことも一度もない。

思い出話ってのなら、よくするかも知れない。

が、それも…。

「思い出を語る」が目的ではなく、現在の何かを説明するために過去を比較に出す、という感覚。


大事な思い出…。
超うれしかった思い出…。


それは、とても、難しい問いだ。


そのイベントの席では、どうしても答えなくてはならなかったので。
まだ「思い出」などには収まっていない、現在進行形のとある出来事の、「発端」というべき出来事を解答としてお話したのだが。



思い出とは、記憶と、どう、違うのだろう。