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隠者の遠近見聞思録 Ⅱ

不動産業については見るべきほどのものは全て見たつもりでいた街の独り不動産屋だった男が、世の中の森羅万象を遠近見聞思録する。

ソングテーマの「弾ける」に連想して詠める歌、3首。


1

我が独楽は 芯に歪みの あるものか

弾けて飛んで 倒れて止みぬ


わがこまは しんにゆがみの あるものか

はじけてとんで たおれてやみぬ


芯の真っ直ぐに通ったコマは、面白いほどによく回り、びっくりするぐらいに長く回りますが、芯に歪みのあるものは勢いがあっても弾け飛んで倒れて止まってしまいます。


私の古い友人の一人は、20歳の時に、有名な文学賞の新人賞を受賞し、小説の書き手として大きく弾けるキッカケを掴む幸運に恵まれました。


しかし、その幸運は線香花火の弾けかたに似て、短い期間で終わってしまいました。


その友人は、その後の45年間を、20歳の時の幸運の栄光のみを心頼みにして生き続け、ひたすらいちずに、今も自分の才能だけを信じて創作活動に励んでいます。


もう一人の友人は、20歳の時に初めて司法試験にチャレンジしましたが、その後は失敗の連続で、35歳の時にようやく晴れて念願の合格を果たし、弁護士の道を選び、現在は弁護士20人を率いるボスとして総合法律事務所を運営しています。


彼の20代の全てと30代の前半は、ただただ司法試験の受験勉強のみに明け暮れた日々で、普通の人間たちの青春時代とはまったく異なるものでした。


私は、自分のことは棚に上げて言います。


45年を超えて長く親しく付き合っているよしみで、遠慮なく率直に言うと、この二人の友人のコマの芯は、過去も現在も、どこか歪んでいると感じざるを得ません。


人間は、やはり、大きな弾けを追い求めるよりも、小さな弾けを繰り返し多く経験しながら、時に応じて、その微調整のできるのが良いと、この頃は特にしみじみと思うのです。



2

夕翳る 夏の畑に 独り居て

種の弾ける ひそけさを聴く


ゆうかげる なつのはたけに ひとりいて

たねのはじける ひそけさをきく


桔梗屋(ききょうや)と名付けた、念願の農園を始めてから今年4月で5年めになりました。


四季折々の野菜づくりと一緒に、花の栽培にもチカラを入れてきましたが、ようやく一年中を通じて何かの花の咲いている畑にすることができました。


梅雨明け後の先日、予定の作業を終えた夕方、畑の真ん中にシンボルツリーとして植えたイチジクの木の下で一息入れて休んでいると、かすかに「パチン…」と、何かが弾ける音がするのです。


風もなく、生き物も生きて動かないような静けさの中で、また、その「パチン…」という音が聞こえ、あたりをうかがっていると、畑の端のほうで、そこだけ夕陽の当たっている場所に、テッポウユリの茎の先っぽ、花の散ったあとの袋状になって枯れきったものが割れる音だと気が付いたのでした。


よく見ると、次々にパチンパチンとかすかな音を立てては弾けて割れていくのです。


近づいて手に取って調べてみると、なんと、その袋には無数の種が入っていて、周りに飛び散らばっているのだと分かりました。


生えているその場所から動けない植物の、子孫を絶やさないための本能的な知恵と工夫が、そこにはあったのでした。


自然の生命の営みというものは、なんと健気で、なんと哀しいほどに愛しいものであるか…と思い知った瞬間でした。



3

夜を照らす 打ち上げ花火 にぎはしく

弾け砕けて 飛びて散りたり


よるをてらす うちあげはなび にぎわしく

はじけくだけて とびてちりたり



夏の大きな楽しみの一つが、花火大会の花火を遠くや近くで見ることです。


近場では、越谷や草加の花火大会が有名ですが、私は江戸川沿いの松戸・三郷・流山の花火に馴染み深いものを感じています。


吉川でも規模は小さいながら、ネオポリス花火大会がありましたが、近年は運営上の問題で開催されなくなってしまいました。


夏の夜空いっぱいに広がる花火の競演を見上げていると、地響きするような花火の爆裂音も効果的に手伝って、何か身の内にある不純物が木っ端みじんに弾け砕けて、飛び散っていくような心地よい気分になれたものでした。


何かを諦め、諦めることによって、何か自信と元気を取り戻すような、そういう鎮魂と慰安の儀式を、自分の内側で執り行ったような、少し厳粛な気分も、花火を見た後には残ったものでした。


君がいた夏は 遠い夢の中

空に消えていった 打ち上げ花火