かぐや姫を待つ満月の夜に | 隠者の遠近見聞思録 Ⅱ

隠者の遠近見聞思録 Ⅱ

不動産業については見るべきほどのものは全て見たつもりでいた街の独り不動産屋だった男が、世の中の森羅万象を遠近見聞思録する。

ソングテーマの「月」を題に読める歌、3首。

 

1.

まんまると まるまるまるい 満月は

空の低きより おもおも昇る

 

まんまると まるまるまるい まんげつは

そらの ひくきより おもおも のぼる

 

 

 

 

旧暦の8月15日の夜の月のことを、「中秋の名月」といい、

たんに「十五夜」とも呼ばれるようです。

 

古くより「十五夜」といえば、「満月」のことを指し、1年に12~13回めぐってくるのですが、

旧暦の8月の頃は一年のうちでもいちばん空が澄み渡り月が美しく見えるので、

「中秋の名月」として親しまれ、「観月の宴(かんげつのうたげ)」が開催されてきたようです。

 

江戸時代になると「収穫祭」としても広く親しまれるようになり、

十五夜といえば旧暦8月15日を指すようになったとのことです。

 

2.

十五夜の 月見の原に かすかにも

金木犀の 花の香ぐわし

 

じゅうごやの つきみのはらに かすかにも

きんもくせいの はなの かぐわし

 

 

 

 

中秋の名月の頃には、金木犀の花の香りが漂う季節でもあります。

 

十五夜のお月見には、お団子と「秋の七草」をお供えしたしたそうですが、

七草を揃えるのが難しくなって、いつのまにか「ススキ」だけをお供えするようになったとか・・・。

 

 

そてにしても、なぜ、私たち日本人はこんなにも、

「中秋の名月」に心を惹かれ感傷を誘われるのでしょうか・・?

 

考えてみました。

 

それには、あの、「かぐや姫」のお話が関係しているように思えるのです。

 

「かぐや姫」のお話は、一般に、「竹取物語」として伝えられてきています。

 

この竹取物語は、「この国の物語のはじめなり・・・」と、

「源氏物語」のなかで紫式部さんが述べています。

 

「かぐや姫」は、日本最古の物語のヒロインなのだそうです。

 

その、「かぐや姫」・・・、

 

竹取の翁に竹林の中で見つけられ、翁夫婦の娘として育てられるのですが、

わずか3か月で年頃の娘に成長し、その美しさはたとえようもなく、

時の帝(みかど)の熱烈なプロポーズをうけますが、素っ気なくふってしまうのです。

 

光り輝くばかりに美しい「かぐや姫」でしたが、

3年の月日が経った頃から、夜空の月を眺めては、もの思いにふけるようになりました。

 

(旧暦の)8月の満月が近づくにつれ、激し泣き出すようになり、

翁が「なぜ、そのように泣くのか・・?」と尋ねると、

 

「自分はこの国の人ではなく、月の都の人であり、この15日には帰らなければならない・・」

と言って、また、さめざめと泣くのでした。

 

 

 

その15日の夜になり、夜空に大きな満月が昇ると、月の都から迎えの天女たちがやってきて、

「かぐや姫」は天の羽衣を着せられて、月の都に帰ってしまいます。

 

別れを惜しんで泣く翁夫婦に「かぐや姫」は言いました。

 

「私は、生まれたときからの宿命で月の都に帰りますが、

私を愛しく思い偲んでくださるなら、毎年、今夜と同じ8月15日の夜の満月をご覧ください。

私は、そこにいます・・・」と言い残していったそうです。

 

 

 

 

翁夫婦が、その言葉を信じて、毎年、8月15日の満月を眺めたのいうまでもありません、

お団子や秋の七草などの花々をお供えして、「かぐや姫」を偲んだのです。

 

いつしか、その習慣は、日本の国のあちこちに広く伝えられていったのだとか・・・。

 

 

 

3.

十五夜の 満月出でたり かぐや姫

いざ帰りなむ 月の都へ

 

じゅうごやの まんげつ いでたり  かぐやひめ

いざ かえりなむ つきのみやこへ

 

 

現代でも、竹取の翁夫婦は、姿を変えて、「かぐや姫」を待ちわびています。

 

かぐや姫は、十五夜の名月の夜に、つぶやき語りかけています。

 

   ごめんね 言えなくて 満月の夜なのに

 

   もう一度 会えるなら 満月の夜ならば・・・・

 

切ないですね・、待つことはせつないですね。

 

そこのあなた・・、誰かを待たせたままにしていませんか・・・?