行方様
このたびは、思いがけなくも再会ができ、
たいへんうれしく思いました、ありがとうございました。
貴兄の第一歌集「手そして・・・・」、第二歌集「顔の中の旅」と、
詩誌「稜」の第6・7・8・9・10・11・13号が私の手元に残っています。
つい先日、書棚の整理をしていて、懐かしくパラパラとめっくたりしておりました。
西沢さんなども懐かしく思い出しました。
残念ながら、重松さんの連絡先はわかりません。
重松さんばかりでなく、村田さん、清水さん、渡辺さん、佐々木さん、田中さん、
石川さん、土場さん、山田さんなど名前だけは憶えておりますが、どなたとも、
連絡・通信がとれておりません。
貴兄だけですね、こうしてたまにお便りを頂戴いたしますのは・・。
さて、第三歌集の「風が風へ」ですが、「ひとつの区切りにしたかった」という思いが、
そのままにまとめられているように感じました。
編年的につづられたなかに、途中のある部分は、私もよく分かる時代があり、
共有できるところもありたいへん懐かしい記憶を呼び起こされました。
「奈亜田」には何度か飲みに連れていってもらいましたね。
あの梅原猛さんも常連だったと聞きましたが、今になって、そういう場所で梅原氏に
会いたかったなあといくぶん後悔しています。
シンボリルドルフのパネル写真を私の結婚祝いにいただきましたが、
それは馬好きだった福島・原ノ町在住の友人に強奪されてしまいましたが、
あの3・11以降まったく連絡がとれなくなっています。
あの地区はほぼ全滅状態だったと聞きました。
2020年、今年の初めに西新宿7丁目あたりをお訪ねされたのですね。
私は昨年秋に新宿地区を訪ねまわりました。
1975年2月、私の東京物語が西新宿4丁目の姉のアパートから始まりました。
あのあたりは、まったく変わってしまったところと、45年前とほとんど変わらない
ところとがありますね。
西新宿~笹塚~幡ヶ谷、東急東横線の中目黒~祐天寺~学芸大学、
日比谷線の三ノ輪~南千住と、かつてすんだことのある町を探訪しました。
また、あらためて再訪しようと考えています。
さて、第三歌集「風が風へ」をざっとですが一読してみての感想ですが、
ご本人も書いているように「一つの区切り」をつけたんだなという、なにか、
手に余る後ろ暗さのようなものからようやく解き放たれた安堵感を感じました。
自らを自らが解き放つために、この約30年という時間が必要だったのでしょうか。
いまは、その一区切りをつけた潔い気分とともに新たな地平を見ている、
貴兄のまなざしをも感じます。
歌集は、今後、おりおりに手に取って読み返してみます。
まずは、取り急ぎ、第三歌集の拝受御礼まで。再見、川内拝
PS
酒休みをしてちょうど満5年が経過したところです。
「禁酒するぞ!」とか、「断酒するぞ!」とか、そんなことで頑張っているのではなく、
5年前のある日、突然、「もう酒を飲んで酔っ払いたくなな・・」とふと思い、それきりです。
健康上の問題とかでもなく、いつでも酒は飲めるのですが、
いまは飲んで酔いたくない気分のほうが勝っていますね。
昨今は、梅原猛さんのパトスが乗り移ったように、「日本学事始」に熱中しております。