先週からアメリカの球場について色々と調べてまして・・・
球場といっても、現在使用されている球場ではなく、
今はもう取り壊されてしまったかつての球場をひたすらに調べていました
なぜ調べていたのかというと、
取り壊された跡地に、その球場の一部や何かしらが残っていないか、
ということを知りたかったからです。
1891年に建てられたLeague Parkは、
かつてクリーブランド・インディアンスが本拠地としていた球場ですが、
当時のチケット売り場の一部は、大規模な改修を経て
Baseball Heritage Museum(野球歴史博物館)
として今も残っていますし、
ニューヨーク・ハイランダース(現ニューヨーク・ヤンキース)が本拠地とした
1903年に建てられた「Hiltop Park」の跡地は現在病院となっていて、
かつてホームベースがあった全く同じ場所にベース型の記念プレートが埋め込まれていたりします。
また、調べていく中で印象に残っているのが
「John T. Brush Stairway」です。
これはかつてニューヨークのアッパーマンハッタンにあった
「Polo Grounds」という球場に崖の上から続いていた階段です。
何でも崖の上から野球を見ていた人たちが、球場に来れるように設置されたそうです
100年以上も前の階段なので老朽化が激しかったのですが、
かつてこの球場を本拠地としていた
MLBのヤンキース、メッツ、ジャイアンツ(現サンフランシスコジャイアンツ)の3球団と、
NFLのニューヨークジェッツ、ニューヨークジャイアンツの2球団
からの寄付をうけて、2013年に改修されました。
その後行われた式典で、あるニューヨーク市議会議員の方が
「子供の頃、崖の上から見たスタジアムは美しかった」
と話されたそうです
大切な思い出を振り返るためにも、こうして場所やモノが
残っているのはとても良いですよね
自分も初めて、とある球場に行ったとき、
テレビの中でしか見ていなかった選手が目の前で動いていたのを見て
涙が出るほど嬉しかったこと、その時の感情を今も覚えていて、忘れたくないです。
さて
今、富士通スタジアム川崎がある場所には、かつてプロ野球の大洋ホエールズや
ロッテオリオンズが本拠地とした川崎球場がありました。
数多くのドラマを生み出した当時の姿を今に伝えるのは
外野フェンスの一部と照明塔のみですが、
それでも多くのファンの方々が訪れて
在りし日の球場に思いを馳せています
この先、川崎球場の遺構ともいえる照明塔とフェンスが、
どんな形でこの地に残っていくのか。
願わくばJohn T. Brush Stairwayのように、いつまでもここ富士見の象徴として
人々の記憶に寄り添う存在となってくれると嬉しいです。
そして、富士通スタジアム川崎としても
これから先、どんな風にたくさんの人の思い出の一部になっていくのか
色々と思い描いています
富士通スタジアム川崎 菅野