『人間革命』第一巻 より

●129頁

才能には限りがある。運、不運も重要な鍵になってこよう。賢者が、必ずしも成功するとはかぎらない。愚かそうに見える人が、また思いもよらぬ大成をなすことだってある。それが、複雑微妙な世間のことわりだ。

戸田は、頬から笑いの影をけして言った。

「君たち、きょうのことはなんだと思う。法華経のために牢屋にぶちこまれて、まる二年間、死ぬ苦しみでたたかった、その功徳なんだよ。才能だけのものではないんだよ。功徳なんだ。御本尊様は、ご存知なんだ。じつにすごい御本尊様なんだ」

▼メモ

熱いなー寒いなーくらいの判断力があれば、あとは善知識に触れられるかが幸不幸のカギ。そのためには功徳・福運が大事。


川波
『人間革命』第一巻 より

●129頁

才能には限りがある。運、不運も重要な鍵になってこよう。賢者が、必ずしも成功するとはかぎらない。愚かそうに見える人が、また思いもよらぬ大成をなすことだってある。それが、複雑微妙な世間のことわりだ。

戸田は、頬から笑いの影をけして言った。

「君たち、きょうのことはなんだと思う。法華経のために牢屋にぶちこまれて、まる二年間、死ぬ苦しみでたたかった、その功徳なんだよ。才能だけのものではないんだよ。功徳なんだ。御本尊様は、ご存知なんだ。じつにすごい御本尊様なんだ」

▼メモ

熱いなー寒いなーくらいの判断力があれば、あとは善知識に触れられるかが幸不幸のカギ。そのためには功徳・福運が大事。


川波
■『人間革命』第一巻より

●本文116頁
たしかに人間は、みずからの主義主張のためには、死ぬことさえできる動物だ。人間から思想をとってしまえば、根無し草のような肉体が、はかなく生存をつづけるにすぎないからである。

思想ほど恐ろしいものはない。一片の思想が、人々を死に追いやることもある。いわば思想は、魔力をそなえているのかもしれない。しかも、さらに怖るべきことは、人々は自己の死ぬべき思想の正邪、善悪、浅深について、あまりにも無関心でありすぎた。いま、戦争の指導理念に仕立てられた神道は、その無力を余すところなく露呈して、ついに悲惨な結果をもたらしてしまったのである。
以上

▼メモ
ひとかけらの思想が人を幸せにもし、不幸にもする。心に何をいれるかは、胃のなかに何を入れるか同様、大切なこと。変なものを食べたら腹をこわすのと同様、心のなかに変なものをいれれば心をこわす。良いものを食べよう。最高の法味を口にしよう。


■『人間革命』第一巻より

●本文116頁
たしかに人間は、みずからの主義主張のためには、死ぬことさえできる動物だ。人間から思想をとってしまえば、根無し草のような肉体が、はかなく生存をつづけるにすぎないからである。

思想ほど恐ろしいものはない。一片の思想が、人々を死に追いやることもある。いわば思想は、魔力をそなえているのかもしれない。しかも、さらに怖るべきことは、人々は自己の死ぬべき思想の正邪、善悪、浅深について、あまりにも無関心でありすぎた。いま、戦争の指導理念に仕立てられた神道は、その無力を余すところなく露呈して、ついに悲惨な結果をもたらしてしまったのである。
以上

▼メモ
ひとかけらの思想が人を幸せにもし、不幸にもする。心に何をいれるかは、胃のなかに何を入れるか同様、大切なこと。変なものを食べたら腹をこわすのと同様、心のなかに変なものをいれれば心をこわす。良いものを食べよう。最高の法味を口にしよう。


■『希望の明日へ~池田名誉会長スピーチ珠玉集~』より

◆宿命転換

●48頁
病気で苦しければ、だれしも一生懸命、題目をあげ始めるに違いない。また、そうした苦難のときこそ、信心の炎を燃やさなければならない。大切なことは、病気を不幸への出発点とするか、より大いなる幸福の軌道へのスタートとするかである、“身の病”を機縁にした発心であっても、仏法の実践には同時に“心の病”をも癒していく。唱題の力は、病を克服する強き生命力をもたらすのみならず、生命の奥の宿業をも転換していく。生命の“我”を仏界へと上昇させ、崩れざる絶対的幸福境涯へと、無量の福運を開いていくのである。(昭和63年3月24日)

●50頁
人生には病気な時もある。行き詰まるときもある。さまざまな苦悩がある。しかし、妙法を信じ、唱えぬき、広宣流布へと向かっていく人は、悩みを、より大きな幸福へと変えていける。苦しみを幸福への糧にしていける。ゆえに、その人のいるところは、何があっても“寂光土”なのである。(平成6年3月20日)

●48頁
「罪障」といっても、凡夫には、過去世のことは自覚できない。目にも見えない。手にとることもできない。当然、謗法は厳しく戒めなければならない。しかし、いたずらに罪業の観念にとらわれ、なんとなく、うしろ向きになって、重苦しく過去に縛られたようないき方になっていくとしたら、それは日蓮大聖人の仏法の正しき実践とはいえない。どこまでも未来を志向し、未来を煌々と照らし進みゆく。ここに「現当二世」の大聖人の仏法の真髄がある。(昭和63年4月29日)

以上

人生即仏道修行だと思う。
信心を強くしたぶんだけ幸福になる。功徳も福運もすべて心から出てくる。自身の魂に御本尊にあらわされている仏界を染み込ませる修行だと思う。法華の名を受持する者を諸天は必ず護る。人の姿になって種々たすけてくれる。

人生トータルでフルサポートしてくれるのがこの信心。安心安全の絶対保険。

どんな苦しみも、悲しみも、乗り越えられないわけがない。すべてが更なる広き境涯、深き勝利への薪。

燃やせば幸福の炎が灯される。

川波


■『希望の明日へ~池田名誉会長スピーチ珠玉集~』より

◆宿命転換

●48頁
病気で苦しければ、だれしも一生懸命、題目をあげ始めるに違いない。また、そうした苦難のときこそ、信心の炎を燃やさなければならない。大切なことは、病気を不幸への出発点とするか、より大いなる幸福の軌道へのスタートとするかである、“身の病”を機縁にした発心であっても、仏法の実践には同時に“心の病”をも癒していく。唱題の力は、病を克服する強き生命力をもたらすのみならず、生命の奥の宿業をも転換していく。生命の“我”を仏界へと上昇させ、崩れざる絶対的幸福境涯へと、無量の福運を開いていくのである。(昭和63年3月24日)

●50頁
人生には病気な時もある。行き詰まるときもある。さまざまな苦悩がある。しかし、妙法を信じ、唱えぬき、広宣流布へと向かっていく人は、悩みを、より大きな幸福へと変えていける。苦しみを幸福への糧にしていける。ゆえに、その人のいるところは、何があっても“寂光土”なのである。(平成6年3月20日)

●48頁
「罪障」といっても、凡夫には、過去世のことは自覚できない。目にも見えない。手にとることもできない。当然、謗法は厳しく戒めなければならない。しかし、いたずらに罪業の観念にとらわれ、なんとなく、うしろ向きになって、重苦しく過去に縛られたようないき方になっていくとしたら、それは日蓮大聖人の仏法の正しき実践とはいえない。どこまでも未来を志向し、未来を煌々と照らし進みゆく。ここに「現当二世」の大聖人の仏法の真髄がある。(昭和63年4月29日)

以上

人生即仏道修行だと思う。
信心を強くしたぶんだけ幸福になる。功徳も福運もすべて心から出てくる。自身の魂に御本尊にあらわされている仏界を染み込ませる修行だと思う。法華の名を受持する者を諸天は必ず護る。人の姿になって種々たすけてくれる。

人生トータルでフルサポートしてくれるのがこの信心。安心安全の絶対保険。

どんな苦しみも、悲しみも、乗り越えられないわけがない。すべてが更なる広き境涯、深き勝利への薪。

燃やせば幸福の炎が灯される。

川波


池田先生の御指導

◆幸福・福運

いうまでもないが、お金もまた、一生を賭けるには、あまりにも“不確実な”そしてはかないものである。お金はイコール“確実な幸福”ではない。むしろ“財産”があるゆえに不幸になる場合もあまりに多い。

まさに大聖人の仰せのごとく「南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧めんのみこそ今生人界の思出なるべき」(御書467頁)なのである。

この御金言を心に深く刻みながら、広布と信心に進みゆくわが人生こそ“最高の幸福”と確信し、晴れやかに、また堂々と生きぬいていただきたい。

(昭和62年11月15日)

以上


南無妙法蓮華経とわれも唱え、人にも勧めていくことこそが、今生人界の最高の思い出です☆

それが幸福・福運につながる。
断じて幸福になろう!

川波


池田先生の御指導

◆幸福・福運

いうまでもないが、お金もまた、一生を賭けるには、あまりにも“不確実な”そしてはかないものである。お金はイコール“確実な幸福”ではない。むしろ“財産”があるゆえに不幸になる場合もあまりに多い。

まさに大聖人の仰せのごとく「南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧めんのみこそ今生人界の思出なるべき」(御書467頁)なのである。

この御金言を心に深く刻みながら、広布と信心に進みゆくわが人生こそ“最高の幸福”と確信し、晴れやかに、また堂々と生きぬいていただきたい。

(昭和62年11月15日)

以上


南無妙法蓮華経とわれも唱え、人にも勧めていくことこそが、今生人界の最高の思い出です☆

それが幸福・福運につながる。
断じて幸福になろう!

川波


『希望の明日へ』388頁より

池田先生
「何があっても御本尊から離れてはいけない。信心の歩みを止めてはいけない。

人生の途上には、様々な苦難がある。行き詰まりもある。そのときにこそ信心の心を強め、唱題に励んでいただきたい。

宿命の山を登りきると、それまでは辛くとも、次は視界がパーッと開けていくものである。

信心は、その繰り返しのようなものである。

その究極として、永遠に崩れない絶対的幸福境涯につながっていく。

ともかく、信心の根を、強く、深く、張っておくことだ。

根さえ張っておれば、たとえ風雪の時があったとしても、太陽の光が輝き、水が与えられれば、必ずしだいしだいに大樹へと育っていく。

信心と人生の歩みもまた同じである。」
(平成1年5月28日)


随想
信心のあゆみ。人生のあゆみ。一歩一歩。絶対的幸福境涯は必ずある。


『希望の明日へ』388頁より

池田先生
「何があっても御本尊から離れてはいけない。信心の歩みを止めてはいけない。

人生の途上には、様々な苦難がある。行き詰まりもある。そのときにこそ信心の心を強め、唱題に励んでいただきたい。

宿命の山を登りきると、それまでは辛くとも、次は視界がパーッと開けていくものである。

信心は、その繰り返しのようなものである。

その究極として、永遠に崩れない絶対的幸福境涯につながっていく。

ともかく、信心の根を、強く、深く、張っておくことだ。

根さえ張っておれば、たとえ風雪の時があったとしても、太陽の光が輝き、水が与えられれば、必ずしだいしだいに大樹へと育っていく。

信心と人生の歩みもまた同じである。」
(平成1年5月28日)


随想
信心のあゆみ。人生のあゆみ。一歩一歩。絶対的幸福境涯は必ずある。