映画はアメリカからうまれた野球と野球に活きた幻想者との交わりを見せながら・奥底に在する~何かを主人公は辿り行く・あたたかなファミリーを得て夢のルートを探り当てて行く・・

俳優 ケビンコスナー氏のrealなスタンスは爽やかで大陸アメリカの広さを思わせている。氏は私財を投じての環境改善などへ取り組む・アクターでもある・・・。

 

 

せいせいるてん

英語で言うと All things are constantly changing.

と意味を持った言葉として訳されているが、言葉をそのまま英訳してしまうと Live stream と英訳しているものもある

Live stream はよく言う生放送の意味で本来この4字が持つ意味とはかけ離れた使い方である。では、前文はどうであろうか、

本来 流転 は輪廻とも称される、生死・因果が繰り返される、すなわち万物は生まれかわるという

仏教、ヒンドゥー教、イスラム教などの考え方に由来するもので、キリスト教での考え方にはないので、流転 

を英訳するとき、constantly changing と万物は絶えず生まれては変化し、移り変わるという意味で表現するのであろう。

実はこの言葉の考え方の違いが今も世界各地で続く戦争が和解をみない大きな意味をもっている・・・

書 を書きながら言葉の持つそんな意味や考え方を改めて思いかえす。

 

 

東映撮影所・練馬にて・出始めた頃に ほぐして下さった~宮園純子さん・任侠路線の名役とし活躍される・東映ニューフェイス七期・東の純子とし花を咲かせた女優である。分けへだてなく配慮に尽くせる御仁の少ない世界で心強く勇気を授ける方である。名役とは・人なりの器量なのである・・・。

 

じつげつ えいしょく

  左は町春草 による草書の日月盈呉 同じ漢字を 町春草 が日月 を楷書、盈呉 を行書で書いたのが右

  同じ漢字を書体一つでこれほどの作品にする町春草。教えを学んだ生徒には、後に書家を目指す者だけでなくデザイナー、

  アートディレクター、画家などもいたこともわかる。・・・・ちなみにこの4字の意味は、千字文の中の1節で前後の文があり

  読み解くものであるが、この4字のみで言えば、自然の摂理である太陽や月の満ち欠けを単純に言葉にして表現したもので、

  その言葉の意味が町春草の書になることで我々の心に美しい響きとなって感じる・・・・・

            

 

健全な若者達の 心技をかけた 青春の祭典・苦心惨憺 様々な 

思いを胸に・悔いなき一戦に尽くして頂きたい。若さの宝を平和

日本の心へ力一杯みせてくれることを信じて・・・

 

ひゃくじにょい

万事が意のままであることを意味するこの言葉

百合、柿の実と霊芝を描いた画題としても知られている。

それと如意という言葉を聞いて、それまでは漢字でその言葉を考えたことがなかったが

そうあの西遊記の孫悟空が持っていたのがニョイ棒で漢字で如意棒と書くのだと知った。

元々はお坊さんが持っていた仏具であり、画題としてこの言葉を描くときに実は

その棒の先が霊芝に似ていたから万事を意味する百合と柿の実と合わせて描くようになったそうです。

 

ようし じゃくし

 

手習いとしてよく使われる4字熟語

立ち居ふるまいは、礼法に適っているかを、厳かに思うがごとく

という意味で、中国の書の手本として文章家 周 興嗣 がまとめた千字文の

二の二71節にある

書の手習いには、書き方だけでなく文字の持つ意味から礼節の心を学ぶ

ことも大事なことである。

舟へんに公と書いて、なんと読むのだろう・・・・実は船

時代は江戸、読み書きが庶民にも広まり出したころただ

船と書くのを庶民が多用するようになり、舟へんに公は

あまり使われなくなったとか、ただ、書の手習いの漢字

としては今でもよく使われる漢字です。

ハナオチ

ハナオチ この言葉は

1694年刊行井原西鶴作 浮世草子 6巻 西鶴織留 の中の一節

 

           庭に豊後梅の花落(はなオチ)比なるに

 

に花が落ちた様として使われている、散っておちるのではなく、風に吹かれたのか、何かして落ちてしまったのであろう様を思わせる風情のある言葉である。とくに、ハナオチ と読ませるところが・・・・・

町 春草

 

 

 

 

       

セイスイ

  

セイスイとは今の言葉にして言えばミネラルウォーター

     史学者の久米邦武がこんな言葉を残している、

           噴泉井水の如きは硬水なり

 いまでこそ当たり前になった、その種類や成分がボトルに表記された水、かっては温泉地でしか聞いたことないような言葉であった。そんな井戸水を セイスイ(井水) とこうやって書にして見るとなんと風情を感じる言葉であろう。

町 春草