我が輩は
「中国コロナパニックで殆どの人が戦意喪失状態だから
より一層幸せになれるチャンスかもな」
と観じている。
というのはこうである。
我が輩は、国家や社会をあてにして生きてきたことがない。
この姿勢は、死ぬまで変わらないのではないかと考えてもいる。
(より正確に言うと、差別されるマイノリティ=在日朝鮮人二世であったから
国家や社会の恩恵の蚊帳の外に置かれたため
国家や社会をあてにできる環境になく、従ってあてにできなかったと言うべきか)
だからこそ自分自身の頭脳と肉体を鍛える事に余念がない。
笑いも必要だ。
とりわけ女の微笑みなくして生きて行くことは難しい。
感動も必要だ。
とりわけ普遍性の高い芸術、
そうムーラン・ド・ラ・ギャレット等、至高の芸術に心が濡れることが活力になる。
他方、我が輩は、六でなしであることにつき
大いなる自覚と誇りを持っている。
加えて
自由!
という言葉が富士山よりも大好きだ!
人生はいずれ終わる。
ゆえに自由を謳歌したい!
完全燃焼したい!
のであ~るカポネ。
中国コロナパニックの渦中であっても、
自由主義者!
であることに変わりはナイチンゲールだ。
ガキの頃は、ブ男、弱虫、暗い性格等々、長所がまったくない「まるでダメお」だったから
朝鮮学校内でも下位に置かれ虐められてきた。
2つ上の林チャンスという奴には、毎日のように殴られ、
転校してきたばかりの身体のでかい同級生には膝蹴りを顔にぶち込まれ
ヤン・ギホという暴力教員の日常的サウンドバッグ化、
チョウ・スンレという女の教員にはトンカチで頭を殴られたこともある。
やっと朝鮮学校が終わると、
次は暴走族等のアウトローと蒲田や六郷周辺での遭遇戦が待ちかまえていた。
「なんのために学校行ってんのかなぁ」
と自問自答だったよ。
だが、自殺なんてただの一度も考えたことがナカ!
とにもかくにも、弱い自分が嫌で嫌で、
「強くなって見返したい!」
この一心で、柔道を皮切りにボクシング、合気道、寸止め空手、極真空手と
武道および格闘技の社会に身を投じ、
希望通り強くなって今日に至っている。
国家や社会を当てにできない環境。
朝鮮学校に通っていた約14年間(朝鮮大学は一応2年迄学籍あり)、
まさか自分が幸せになれるとは思ってもみなかったな。
日本を飛び出し、オーストラリアに移民に行こうと真剣に考えた時期もあったし。
普通の日本人に生まれ育ったであろう諸君は、このような環境を理解できるかな?
今となっては、あの苦しかったガキおよび健全な不良時代が
臨終寸前の沖田館長(宇宙戦艦ヤマト)同様
「なにもかも、みな、懐かしい・・・・」
だな。
あの時代があればこそ、今の我輩が存在するからである。
今、自由な人生を謳歌しているからである。
だから我輩を虐めた連中には、今となっては感謝しているさ。
現在、苦しい環境におかれている若者よ!
君も我輩みたいに、幸せにならないか!!
どの人生も、逆境を跳ね返す勇気が幸せを呼び込む絶対条件だ。
これは考えて身につくものではない。
鍛錬してこそ身につくもの。
武道や格闘技が適合的だ。
野球やサッカー等の球技,、芸術や歌は、才能には絶対勝てない。
さりながら武道や格闘技は、努力が才能を超えることがあるからである
(武道や格闘技では才能がある者は才能の伸ばす才能が欠け辞めることが多かった)。
だから「立派な武道の先生」(絶滅危惧種ではあるが)に師事し、修行することを奨励したい。
我輩のように、弱い六でなしであっても、強くなれるぞ!
とまぁ、前置きが長くなったが、
このような環境におかれた我輩は、他者とは異なる感性が強い。
中国コロナパニックの最中、
「より一層、幸せになれるチャンスだな!」
と観じている。
以下その2に続く