2500km爆走の夏の出張旅も佳境。

本日の彦根、明日の静岡、明後日の平塚での指導、残り400kmで終わる。

1週間遅れていたら台風直撃だったから幸運であった。

体調万全、気力十分、脳もシャープで、毛も一応、残っている。

 

車での出張旅もヨカ余暇である。

たとえば、小倉から下関へ海底トンネルで渡る途中、

「えっ? 小倉にも、大山ズミ神社があるのかっ!」

むろん急きょ調査した。

地名が「松崎」だったから、アッと驚く河五郎ぉ~。

西伊豆の三島神社(改名させられている)が所在する地名も「松崎」。

大山ズミ=三島明神を氏神とする士族の越智氏、河野氏、三島氏らが元寇の際、

お参りしたと記録されており、知的好奇心が噴火した。

この神社の北には、宗像神社があり、神の島もあるからである。

我輩の小説、三島明神三部作の二つ

=「三島孝行犬物語」、「ウナギ様を食べないで幸せになり、食べて不幸となった今昔物語」

に続く最後の作品の重要な史料を収集できてヨカヨカである。

飛行機や電車よりも、高速道路を利用しない旧街道を車で走るほうが、はるかに知的発見が多いことに気づいた。

 

だが、今回の旅で、一番、心に残ったのは、つばめの巣であった。

彦根から神戸→淡路島→徳島→高知→宇和島→八幡浜→臼杵→別府→湯布院→筑紫野→佐世保

→宗像→小倉→下関→秋芳洞・別府弁天池→広島竹原→岡山→京都嵐山まですべて下道を爆走。

(山口や広島には無料高速道路=バイパスがあり、法定速度順守の我輩とは異なり軽自動車でも100kmだしていた)

この間、一度も、蚊に刺されなかったのは、まことに奇跡というほかない。

ところが、昨日の夜、彦根に戻ったとたん2回も刺され、

バシッ

「明智君! 君の負けだね」

と、苦節約20年間の「彦根蚊」との闘いに突入したのだった。

 

彦根も田舎である(正直なところ、もうそろそろ終わりにしたい。東京からの往復の時間が惜しいため)

だが爆走した神戸市内、高知市内、小倉市内、岡山市内を除けば、新幹線が通っている彦根の方が「都会」といえる。

つまり自然が結構、残されており、東京で生まれ育ったシティー・ボーイ的感覚でいうと、

蚊に刺されるリスクは彦根よりもその他の田舎の方が高いはずだった。

 

しかし、結果は逆。

その理由は、つばめの存在だと考えている。

つばめは、蚊等の害虫を食べてくれるからである。

我輩の彦根の「家」は琵琶湖や犬神川が近くにあり、

移住した頃の約20年前は、つばめの巣がたくさんあった。

しかし、人間が

「糞が汚い!」

ということで、すべて壊してしまったらしく、ここ数年、ツバメをまったくみかけなくなった。

「琵琶湖を汚染してるのは人間なんだから、つばめの糞ぐらい我慢しろってんだ!」

と観じている。

 

この時期は、つばめの子育て真っ最中。

巣作りにいそしむ者、

巣で卵を温めている者、

巣で親鳥をまっている生まれたばかりの者および、

「おいおいそろそろ巣立たないと巣が壊れるぞ」

と声をかけてしまった者。

たとえば、山口県なのに、なぜか「別府弁天池」と呼ばれる美しい湧き水の郷の

男性トイレ入口の上にあったつばめの巣。

身長175cmの我輩が見上げると、

     \ /

      ・・

      へ

もの凄い至近距離となり(田舎の古いトイレは高さがない)、

親鳥の餌をまつ4匹位のでかいツバメが

まったく無警戒で、

 

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動かざること山のごとし。

ツバメなりの平常心だったのかも知れない。

我輩と4匹のツバメは、お互い無言で見つめあうのだった。

 

「あぁ、ウィーンの雀と同じだな」

20歳の頃、貧乏武者修行で立ち寄ったオーストリア・ウィーン。

著名な音楽家の銅像のある有名な公園にはカフェレストランがあり、

屋外の椅子に座ってコーヒーを飲んでいると、

雀が我が輩の手に、文鳥のように乗ってきたので驚いたことがあった。

 人慣れすずめ

である。

これは人がすずめをいじめないし、餌を与えるからだと思う。

日本ではまず考えられない。

なぜなら、すずめは、収穫前の米を食べてしまう害鳥とみなされているからだと思う。

 

むろんツバメは人から餌をもらわない。

だが、ツバメの巣を壊したり、いじめたりしないから、ツバメが人に対して無警戒なのだと思う。

 

我が輩が子供の頃の東京(足立をのぞく22区。吉祥寺、三鷹、府中、八王子は、東京ではなく多摩。我が輩が20代の頃は、東京都下三多摩と呼んでいた。だから今でも車は多摩ナンバー)にも、ツバメがたくさんやってきた。

我が故郷・六郷にも、たくさんのツバメが巣を作り子育てに励んでいた。

彼らがやってくると季節を観じたものだった。

実家から一番、近いツバメの巣は、水門通り商店街の魚屋さんの店先にあった。

だから客がツバメの糞を、もろにかけられることもあったが、誰も、怒ったりしなかった。

(犬のうんこもそこいらじゅうに散らばり、それを踏むと、自分の不運をなげくだけ。

友達が人差し指と中指を交差させて

「えんがちょっ!」

と笑う程度だった)

ところが、心にゆとりがなくなった結果、ツバメの糞に文句をいう客が増え、

また家が汚れてしまうとツバメの巣を壊す人が徐々に増えていき、

20年ほど前からツバメをみかけなくなってしまった。

その反動で増えたのが、蚊である。

 

「卑怯だろ~、安部晋三は!」

で有名になりつつあるキンチョー・ムキムキおじさんには、悪いのだが、

蚊取り線香は、毒なのだから人体に、全く影響はないとはいえないと思う。

それなら蚊が発生する初夏に、ツバメに食べてもらったほうが良いではないか。

「ツバメの糞ぐらい我慢しろってんだ!」

(人間は、自分たちが頭の良い生物だと過信している。

自然の摂理にゆだねる方が得なのに、それを無視し、

「くだらない発明・発見」に酔いしれ、損をしている。

原発がその典型)

 

人間ほど地球を汚くしている生物はいないのだから、

他の生物、とりわけ人間にとって無害で、しかも害虫を食べてくれるありがたい生物を守るべきだと思う。

ところが、都会に住み、損得勘定で汚染されると、心のゆとりがなくなる。

何でもかんでも腹立たしくなり、不満と文句にあふれた人生を歩むことになる。

我が輩の経験からいわせてもらえば、

「心にゆとりのない人は幸せにはなれない!

 他者に対する寛容な心がなければ人の上に持続的に立てないし、立ってもいけない!」

 

今回の旅で、感心したのは、予定変更して立ち寄った「国宝 臼杵の石仏」(後にふれる)の

ツバメの巣である。

国宝の石仏の前の前に、

ツバメが巣をつくり、真下に比較的大きな段ボールの「糞だめ」がおいてあったことだ。

お賽銭箱の右横においてあり、参拝者への

 寛容なこころ

をモチーフにした添え書きもあった。

 

大分県なら、仮に、石仏前の巣を壊したとしても、ツバメの巣がなくなることはないと思う。

けれども、管理者は、それをそのまんま東で、黙認したのだと思う。

「まさに仏の寛容なこころだな」

妙に感心してしまったよ。

 

ツバメにすらやさしいこころを持てば

人にはもっとやさしくなるのではなかろうか。

寛容な心のもつ人が増えれば、その分、社会から争いごとはなくなる。

 

ツバメの巣を壊せば、ツバメは戻ってこないと思う。

人の心も同じだ。

あからさまにおかしい言動であったとしても、現代人に心の余裕がある者はさほど多くはない。

私生活、とりわけ仕事で嫌なことが蓄積されている。

将来への不安があるのかも知れない。

本人が仕事で汚染され、気づいていない場合も多い。

だから、追いつめれば、ツバメの巣同様、その人の心は完璧に壊れる。

 

今回の2500kmの出張旅で、

3回ほど不愉快な気持ちになったが、寛容な心で対応した。

いやしくも人の上に立ち、そして立とうとする者は、寛容な心が大切だ。

ツバメの巣を見守る心を同じだ。

 

我が輩が創始した「日本テコンドー」は、感情を殺すことを目的としている。

最近、増殖している傲慢な輩、

成果! 成果!

と怒りまくっている輩は、どんなに地位が高く、また金があろうとも軽蔑する対象である。

そのように考えることで、理不尽な言動をあびせられても感情を殺すことが可能だ。

感情を殺すことを覚えれば、躁鬱になることはない。

そのようになるための心の端緒が、寛容な心をもち、持とうとする心構えである。

優れた心構えは、心身共に鍛錬しなければならない。

鍛錬する場こそが、日本テコンドー協会であり、また、そのようにならねばならないと考えている。

 

故郷・六郷に流れる多摩川もきれいになった。

東京に必要なのは、金儲けのための五輪施設ではない。

自然への回帰こそが必要だ。

「初夏の六郷に、昔のようにツバメが戻ってくるようにしたいよな」

寛容な心を再確認する硬派感傷主義であった。