我が輩は、松山から瀬戸内海をバスで渡り、岡山からJRで彦根に向かっている(今神戸)。

車窓から風景を眺めながらも、ある発言がどうも頭にひっかかる。

小泉純一郎政権下において北朝鮮と交渉した元外務省の田中氏が、

TV報道番組で大略、

「金正恩は権力を得ましたが、権威は得ていません。これからです」

と我が輩とはまったく逆の発言をした。

これは一を知って二を知らない発言といえる。


北朝鮮は、社会主義・共産主義を標榜しているが、その実態は、

 金氏朝鮮

という

 赤い王朝

といえる。


王朝であるとするなら、権威は常に直系の子孫が世襲する。

世襲した子孫を王と呼ぶか、天皇と呼ぶか、書記と呼ぶか、委員長と呼ぶか

それとも麗しの新日本人と呼ぶかはともかくとして、

その呼称が何であれ、

 死んでしまった絶対権力者の権威は、正しい血筋の息子が継承(世襲)することに決定しました!

ということなのだ。


金正日は、まさにこの論理で「北朝鮮的絶対権威」を世襲したのだ。

そして父・金日成の在世中に、10数年かけて権力を掌握していった。

父が死ぬ頃には完全に権威も権力も掌握したのだが、

金正恩はまったく準備不足で金正日の急死を迎えてしまったというわけだ。


権威について、たとえば、日本の天皇。

英語では「The Emperor of Japan(おそらく世界で唯一の皇帝)」、

韓国では「日王(日本の王様)」と呼ばれている。

すなわち憲法上、象徴とはいえ外国人がみた天皇の客観的な立場は、王なのである。


王の権威は勲章の授与によって表徴される(英国も同じ)。

各界で成功した日本人の多くは、未だに泣いて喜ぶではないか。

そしてその権威は、血筋で世襲されてきたのが、世界の史実なのだ。

昭和天皇が亡くなって即位した平成天皇(今上天皇が正しいらしい)の権威の源は

何であったか考えてみなはれ。

万世一系と言われる天皇家の長男であるということで皇位を継承したではないか。

次の天皇は、皇位継承権第一位の皇太子だが、これも天皇の長男という血筋を重んじているからに他ならない。

若い皇太子が天皇に即位した場合、左翼はともかく

「今度即位した天皇は若すぎて権威は承継していません」

とは誰もいわないはずだ。

新たな天皇に即位し、江戸城に住み、

国会の開幕式に参席するという行為そのものに権威の承認があるというべきなのだ。


日本帝国主義の植民地化以前、朝鮮には李氏朝鮮があった。

李ソンゲという武将が高麗王朝の王氏を打倒し建国したのだ。

以来、この王朝は500年間も存続し、

今日の韓国国民および北朝鮮国民の価値観を決定づけた。


国民の価値観を決定づけるのは主として宗教である。

欧米がキリスト教、中東等のアラブがイスラム教、

明治維新から敗戦前の日本は国家神道(=天皇神格化)であった。


李朝の場合、打倒した高麗朝が仏教を国教として定めたため、これを廃して徹底的に弾圧した。

かわって統治の原理としたのが、儒教・朱子学である。

この儒教的価値観は、植民地期にも温存された。

なぜなら日本帝国自体が、儒教朱子学的価値観を天皇制と止揚させたからである。

また朝鮮民族を統治する上で、彼らの伝統を重んじる姿勢を示して懐柔につとめ

逆に、欧米のキリスト教的価値観が蔓延するのを恐れたからである(我が輩の学術書で述べている)。


北朝鮮を建国した金日成は、1912年生まれ。

日本が韓国を併合した2年後である。

これは何を意味するかというと、少年期の金日成は、

天皇制の影響を好むと好まざるとに関わらず受けたということである。

パルチザン闘争の際、降伏せず

「天皇陛下万歳!」

を叫んで戦死していった「朝鮮人の日本帝国軍人および警察官」を目の当たりにし、

かつて自分がたたき込まれた天皇制の凄さを思い知らされたのだ。


その金日成が、ソ連の支援を得て建国したのが北朝鮮。

その後、ソ連と中共との闘争の渦中に巻き込まれる中、国家統治原理として主張したのが

 主体思想(チュチエササン)

だが、これは自分の家族を見殺しにし韓国に亡命した黄ジャンヨップが創始したものだ。

しかし、

 金日成が創始した!

と北朝鮮では国民にプロパガンダしてきた。

それは金日成の権威を高めるため創作したものだからだ


そして鈴木等によって明らかにされたのは、

 主体思想の本質は儒教朱子学!

なのである。


以下その4に続く