「人生とは果たして何ぞや?」

と哲学することが多い。

おそらく一生答えを見いだせないのかも知れない。

だが、しかし、それでも、我が輩は思考を停止することはないだろう。


8月14日、品川プリンスホテルで人を紹介した後、後楽園ホールへ。

弟子の尾崎圭司の世界戦を応援するためだ。

タイトルマッチの前、後楽園ホールの職員さんと

11月末のJTA全日本FT大会の打ち合わせを少々行い最近の格闘技界の動向を聞く。

「な~るほどザ格闘技わ~るど!」


次いで尾崎の世界戦を応援。

2Rに尾崎がバックブローでダウンを奪ったが、相手のフランス選手の方が総じて「圧力」があった。

ダウンは奪われなかったが、5Rフルに戦った末の判定は、審判全員がほぼ48-47でフランス選手を勝者に。

妥当な判定だと思う。

試合後、直ちに控え室へ向かう。チームドラゴンの選手が無言で尾崎を囲んでいた。

「すいません」

「いや、お疲れさん。当分、休みなさい。さぁ、帰りにみんなで食事でもいって」

と寸志を渡す。

尾崎は極限的疲労状態。

「・・・・(大変な仕事だなぁ。格闘技のプロは)」

と観じつつ、

「よくがんばった。少ないが10万円はOB会から奨学金として渡そう」

「いえ・・・」

「まぁ、いいじゃないか」

「はぁ・・・」

「ところで前田さんは?」

「あっ、そこです」

うつぶせになって腰のマッサージを受けていた。

「・・・(あぁ、長年の格闘技人生で身体がガタガタなのかもな)」

「あっ! 先生!」

「やぁ、前田さん、ありがとう!」

「いえ、こちらこそ」

と熱い握手。

純粋にひとつの道を究めようとしている男の笑顔は常に美しい。


東京の実家に戻る頃、夜中の12時をまわっていた。

「あぁ、アボジが亡くなってはや15年か」

8月15日は命日なのだ(数日前、アボジについてはふれたので割愛)

チェサ(祭礼)にはゆえあって不参加。

ひとり故人を偲び韓国の儒教の礼法、

三拝(サンベ。3度、地べたに土下座するかのように礼をすること。イスラム教徒の礼と似ている)を行う。


アボジの臨終の時の光景は、いまだに焼き付いて離れることはない。

だが、この経験こそが、命に限りあることを教えてくれることも確かだ。

人は父母の臨終に立ち会うと、悲しむと同時に、自分の寿命も考えるという。

亡くなった父母の享年と自分の歳を引くというわけだ。

読者のみなさんはどうでしたか?


以下その2に続く