連合赤軍事件を知ったのは、311のおよそ1ヶ月前である2011年2月上旬の事でした。

「連合赤軍事件主犯格永田洋子(ひろこ)氏死去」という記事を見て
当時、20代後半で、自分と同世代の女性が、あんな凄惨な事件を起こした主犯格だったという事に驚きを感じました。

書店で「レッド」という漫画を手に入れて読んだり、ネットで連合赤軍関連の記事を見たりしました。震災前の1ヶ月は、毎晩のように連合赤軍事件について色々考えさせられました。

また、この事件の舞台は、群馬・長野県境のだけではなく、あたしの身近なところでも起こっていました。

あさま山荘事件の実行メンバー


坂口弘、坂東國男、吉野雅邦、加藤倫教、加藤元久

このうちの一人、坂東國男が仙台に潜伏していたことが有り
あたしが、学校の帰りに通ったり、友達の家に遊びに行く時に通る杜の都信用金庫黒松支店(振興相互銀行・仙台市泉区ではなく合併前の泉市)に1971年3月23日に強盗に入ったという事です。

当時の黒松の人口は2000人位で最新の団地。南以外の三方を崖に囲まれ、西側の崖を縫う感じで奥州街道(国道4号線)に接続。新興住宅地なので、人口の割りに交番が設置されず、近くにも交番が無く、富裕層が多い。また昼間は仕事の為男性の人口が極端に少ない。
南側は森林が多いが、熟練した運転テクニックがあれば走破出来る山道が複数ある。
などの理由から黒松支店をターゲットにしました。


強盗のメンバー

坂東國男、植垣康博氏、???? 合計三名
他、サポートメンバー(名取のアパート)

強盗後、警察は、仙台市内から出るクルマを一斉検問しますが、入り組んだ山道まで配備できず
また、坂東はじめメンバーは、市内から出ずに逆に市中心部に入るという大胆な行動を行います。主な潜伏先は、仙台市(東北大生の住むアパート)、名取のアパート、塩竃のアパート(メインのアジト)などで、検問が終わると名取と塩竃を撤収させて花巻方面に向かいます。

坂東・植垣氏のコンビ(通称坂東隊)は、赤軍派で唯一逮捕されない部隊でした。2人とも頭がよく、緻密な作戦を練るので、彼らの活躍のおかげで、あさま山荘事件まで、連合赤軍が捕まらなかったと言っても過言ではないかと思います(もう一人、革命左派の坂口という人もいますが)。

まさか、知っている街で、のちにあさま山荘事件に繋がる強盗事件があったなどと思いもよりませんでした。

こんな事から、連合赤軍の事を調べるようになりました。今日は、連合赤軍に興味を持った理由を書きました。次回からは順を追って書こうと思います。植垣氏の本ベースの内容になるかと思いますがご了承下さい。