雪道を行く女性、涙の再会

 

皆さまこんにちは

 

春夏☆秋冬です

今日お話しするのは

思わず涙ストーリー

産経の記事から引用 3年半行方不明だった父から電報「アスソチラへカエル」 

 

(要約版)終戦後、満州から引き揚げた草野さん一家は、父がソ連に連行され行方不明のまま、長崎県大三東村の母・不二子さんの実家に身を寄せ、貧しい生活を送った。

 

母は生計のため、専売品であるタバコの葉を手巻きにして闇たばこを作り、警察の目を避けるため子どもを連れて島原鉄道で諫早や大村まで売りに行った。

 

のちに母は中学校の音楽教師となり、冬のぬかるんだ道を素足に下駄で5キロ歩いて通勤する姿が、子どもの記憶に深く残った。

 

昭和24年6月ごろ、郵便屋が届けた電報を母が「読めない」と言って読ませたのは、父の死亡通知だと思い恐れていたからだが、実際は「アスソチラヘカエル」という父からの電報で、母は涙を流す。

 

翌日、駅へ迎えに行くが父は現れなかった。

 

 

● 今日の独り言

  • 私の父はシベリアから3年半の抑留を経て復員しましたが、今は何もなかったかのように、黙して語ることのない方々が社会の隅々に次世代の為に懸命に生きていらっしゃると思うと、ただ涙です。

皆様の日常にも、素敵な発見がありますように。最後までお読みいただき、ありがとうございました。 完結したアルハンブラ物語の紹介をしていきます。こちらもご一読くださいませ。

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NOVEL

「 アルハンブラ物語」

はじめに
この物語の舞台は、十四世紀のグラナダ――アンダルシアの山影に抱かれた都です。 1232年、ムハンマド一世(イブン・アル=アフマル)が建てたナスル朝(グラナダ首長国)は、イベリア半島で最後に残るイスラム政権として、北のキリスト教諸国(とりわけカスティーリャ王国)と向き合い続けました。十四世紀にはユスフ一世と、その子ムハンマド五世の時代を中心に、城塞宮殿アルハンブラは拡充され、今日私たちが思い描く輪郭へと近づいていきます。


グラナダは地理そのものが境界でした。シエラ・ネバダの雪解け水はダロ川とヘニル川に集まり、畑と庭園を潤し、やがて地中海へと向かいます。港のマラガやアルメリアには地中海の商人(ジェノヴァ人を含む)が出入りし、海峡の向こう――マグリブ、たとえばモロッコのフェズやマリーン朝の宮廷とも視線が結ばれていました。戦の兆しが立つときでさえ、物資と噂は、しばしば風より早く往来したのです。


この都には、アラビア語の碑文、カスティーリャ語(ロマンス語)の口調、ヘブライ語の祈りが同じ空気の層を共有していました。法や信仰は一枚岩ではなく、互いの境界で摩耗し、ときに新しい形を得ます。詩が政治の言い換えとして読まれ、星表や暦の計算が宮廷の実務を支える――そうした文化の混交が、アルハンブラの水盤や回廊の静けさの中に、ひそやかに折り畳まれていました。


しかし、境界の土地は、いつも穏やかでいられるわけではありません。対外戦の圧力、貢納や同盟の駆け引き、そして宮廷内部の派閥と疑念。平和を語る声が「弱さ」とされ、対話が「裏切り」と疑われる瞬間が、幾度も訪れました。本作は、そうした緊張の季節を背景に、言葉と星と、まだ名づけきれない忠誠のかたちを描こうとするものです。


ここに登場する人物や出来事はフィクションであり、歴史上の人物名や出来事に触れる場合も、物語のために配置と関係を組み替えています。それでも、石畳の冷たさや水の音、夜空の澄み方、そして「記録」としての詩が持ちうる硬さだけは、史実が残した輪郭から遠く離れないようにと願いました。 どうか最初の数頁は急がずに。水の反射と星の配置が、ゆっくりと物語の奥へ目を慣らしてくれるはずです。