7月06日(土)20°→26°、くもり&雨、5000歩。

やっと雨、菜園に水まき省略できてラッキー。

 

午前 ウエスタンにR-1と富良野産メロン買いに。8日月に孫がくるので1300円のやつ奮発、隣に茨城産の」600円のメロンがあったが・・。

夜、佐藤愛子『九十歳 なにがめでたい』2~3編読む。、

7月07日(日)20°→26°、曇り&雨、蒸し暑い。9000歩。

 

午前 図書館に返本借りだし、途中ダイイチ頼まれ買い物。黒雲下、時折小雨、蒸し暑い、一汗かいて約9000歩。

 

図書館では、柚木裕子『チョウセンアサガイの咲く夏』『日暮れ同心』などを借りだし。

 

Carp 、中日に3連敗、今年は中日のカモだ笑い泣き

7月05日(金)18°→31°、くもり 湿気。約8000歩。

 

午前  スーパー二つもお使い、ウエスタンでは」R-1。

     息子からハガキあり、7月8日(月)から12日(金)までの帰省?のスケジュール、これではよく判らんので、電話するも、番号は使われていません とかで繋がらす。イライラ。奥さんは急ぎ速達に走る。午後、メールを介してなんとか繋がったようだ。

 

午後 雑用いろいろ。

    

     産経紙《産経抄7月05日》

 

 そうか、『選択的夫婦別姓』制 には、もう一つの不都合があった。《老老介護》の不成立だ。多くの老妻は連れ合いをどうどうと捨てることができるんだ。

                              *

昨晩 見るテレビもないし、辻堂魁『日暮し同心始末帖』初巻をよむ。そうか、こういうお話か。誰が書いても変わり映えのしない捕り物活劇。

                               *

『加藤高明』第3章まで読了。この寺林峻という作家ははじめて読むが、結構、リーダブルに書く力量のある人だ。

 

7月04日(木)15°→28°、くもり、NHK予報では午後雨だったが、ハズレだったようだ。早朝 午後雨降るとテレビがいったので、化成肥料追肥作業。  5000歩。

 

午前  8日(月)~12日(金)の予定で息子一家孫2人、計4人来宅の予定なので、イオン駅に買い出しにお伴、ついでに宮越珈琲で何時ものマンデリン200g×3袋購入。

 

午後  pc処理など無為に過ごす。

 

    『加藤高明』読み継ぐ。

 

     今日は村上だからCarpは勝てないな笑い泣き。阪神、故障者もとってきた強くなってきた・・。

 

 

7月02日(火)13°→25°、くもり 強風 夏日が戻ってきた、6000歩。

 

午前  義父の命日、?周忌、坊さんお経上げにくる、生きていれば110歳、坊さん忘れずに来る、すごい営業力、先日買ってきた<お華足>は、今日のため。

その後、散歩 なにやら意欲が涌かない、堤防をぐるり、6000歩。

 

午後 ぐうたら、『加藤高明』よむ。

 

7月03日(水)15°→28°、予報は31°だったが・・、晴れ

散歩できず。

 

午前  留守番 奥さんクリニック通院 のため。雑草退治したかったが・・・。

 

午後   伊藤歯医者、入れ歯修理してもらう。ほぼ元どうり、すごい!。

 

『加藤高明』よむ。

 

 

 

 

6月30日(日)20°→31°、季節外れの真夏日3日目、しかたない少しクーラーいれる。高温散歩忌避。

本日で今年の半分終了。早いびっくり

 

 

午前  ダイイチに買いだし。一汗。3500歩。

 

午後  ネットと読書。『盤上の向日葵』『加藤高明』

 

Carp 巨人に2-3で負け。打てないもな~。大砲がいないからな~笑い泣き

 

7月01日(月)18°→20°、終日雨模様、強風、外出なし。本日は半夏生なので、さしずめ半夏雨か。

 

半夏生とは、夏至から数えて11日目の7月2日から七夕(7月7日)までの5日間をいうらしい。通説では、農作業の大切な目安として田植えは夏至のあと半夏生に入る前までに終わらせるのが良いとされ、無事に田植えが終われば、農作業をつつかの間 休み、田の神様に感謝する行事を行うそうだ。

茅の輪をくぐるのがそれかな?  

 この日タコをたべるのは、稲の根がタコの足のようにしっかり根付くように、あやかったとかの説があるらしい。

 

ハンゲショウ

skywardplus.jal.co.jp からのはんげしょう

 葉っぱが半分白くお化粧しているから、半化粧(ハンゲショウ)とか、らしい。

ここらへん(私の地域)では、見たことがないが・・・。

 

『盤上の向日葵』下 読了、後半は柚木らしいテンポで進む。

流石の筆力。それにこの人の人間描写が好ましい。

 

 この作品で、決定的手がかりとなった名駒『初代菊水月作水無瀬島黄楊根杢盛り上げ駒』は架空だが、天童将棋駒の工人に《掬水》が居て、彼の造った錦旗 本黄楊根杢盛り上げ駒」が実際に販売されている。

 また、ネット上に《名駒集覧》なるサイトがあって、名古屋の徳川美術館所蔵など、江戸時代中期くらいからの名駒を紹介している。

美術品なんだびっくり

 

こう言う世界があるんだ。始めて知った。

 

ちなみに、お話はじめの死体は、真剣師 東明重慶だった。主人公(犯人)上條圭介の父親(実は実父ではなかった)を東明が殺し、東明を桂介が殺した、という関係だった、そうだったか、思い出したわけでなく、記憶になかった。

 

真剣師というのがいるんだ、そういえば小学生の頃、お祭りの屋台で、賭け将棋のおっさんがいたことを思い出した。あれもそうかな・・。この文庫本の〈巻末・解説〉は、なんとあの羽生善治が書いていて、羽生の小学校の時の思い出として真剣師が書かれている。

こう言う世界があるんだ。はじめて知った。

 

今日は書き過ぎか?

 

 

6月28日(金)20°→29°、季節はずれ?の高温、しバラク続くらしい。5000歩。

 

午前  散歩がてらウエスタンにR-1買いに。なにやら気温あがりそうなので、足延ばすの止め。5000歩。

午後 16時30分 伊藤デンタル、先週金の欠けた入れ歯診察に、部分修理できるとのこと、型取られる。

 

『盤上の向日葵』上、『加藤高明』よむ。

 

。Carp、巨人のサヨナラ負け、栗林、丸にホームラン打たれる。

 

6月29日(土)20°→30°、快晴、5000歩。

 

午前 金魚の糞でイオン西に避暑がてら買い物、店内散歩約5000歩。

 

『盤上の向日葵』上、犯人は冒頭でてきた天才棋士上條桂介、死体は確か桂介の実父の庸一だったと記憶するが、動機が思い出せない。下巻も手もとにあるので確かめればよいのだが・・・よだれ

 

新聞は各紙 昨日行われたトランプバイデンディベート。観ていなかったので、いまいちピンとこないが、終了後の世論調査は、バイデン自滅でトランプ圧勝とか。米民主党系政治評論家がバイデン辞退すべしとの声が圧倒的とか・・・。

 

Carpきょうは巨人に2-1で勝ち、栗林辛うじてセーブ。

 

6月26日(水)12°→17°、寒い、12000歩。

 

午前 散歩がてら図書館へ、久しぶりに金星橋まで足を伸ばす 約10000歩。

寺林峻『凛烈の人 加藤高明』(講談社 1994)と奥さんリクエストの辻堂魁 「日暮し同心始末帖」、柚木裕子『盤上の向日葵』など借り出す。      

 寺林峻『加藤高明』は、大隈重信「推し」の加藤、名前はよく知っているが、どのような事績の人なのか、勉強しようとおもって・・。

 

凛冽の宰相 加藤高明(寺林峻) / パノラマ書房 / 古本、中古本 ...

内容説明

宰相・加藤高明は大正デモクラシーが乱舞するなか、連立政権を率い、政治に体当りしていった。骨太で剛直、凛冽一途の政治家が没後七十年、現代に届けるメッセージ。

 

 

 

 

午後 寒いので隠居部屋で隠居ごっこ。ショパン ピアノソナタ2番(葬送)を聞く。

 

6月27日(木)11°→25°、晴れ→くもり 低温は去ったようだ、10000歩。

 

朝9:30から散歩かねてお使い。近所の餅屋を巡って仏壇にあげる「お華足」(おけそく)を探す。村上餅店で遭遇、1対購入。BakeryBakeryが開ないので、堤防をもう一巡り、昨日同様金星橋まわり・・・、1万歩。

 

お華足は門徒さん法事などで仏壇の供する餅、形体は複数あるようだが、買えたのは正月のお供えと同じ。ネットによると「一久」さんでも売っているようだが、私に行った本店せは、「なにそれ~」という感じだった。もともとは供物をいれる容器のことを言ったらしい。アマゾンに別院の仏壇にあるようなどデカいのが出てきたのでびっくりびっくり

 

おけそく(御華束)餅

 

 

瀧井一博『伊藤博文』は、一休み。

 

寺林の本と「盤上に向日葵」読み始める。もしかしたら『盤上・・・』は昔よんでいるかも知れない、年取ると判んなくなるあせる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6月25日(火)16°→24°、通院日、イオン駅同伴 6000歩。

 

 午前 北彩都病院通院 何時もの処方薬もらう。胃・大腸カメラ検査入院日7月16・17・18(火・水・木)と決めて、入院手続きする。

 

奥さんは、美容院と皮膚科

 

昨夜から  瀧井一博『伊藤博文』(中公新書)、読み始める。『イラク水滸伝』は遅々として進まず。

 

 

伊藤博文: 知の政治家 (中公新書 2051)

 

幕末維新期、若くして英国に留学、西洋文明の洗礼を受けた伊藤博文。明治維新後は、憲法を制定し、議会を開設、初代総理大臣として近代日本の骨格を創り上げた。だがその評価は、哲学なき政略家、思想なき現実主義者、また韓国併合の推進者とされ、極めて低い。しかし事実は違う。本書は、「文明」「立憲国家」「国民政治」の三つの視角から、丹念に生涯を辿り、伊藤の隠された思想・国家構想を明らかにする。サントリー学芸賞受賞。

 

目次

第1章 文明との出会い
第2章 立憲国家構想―明治憲法制定という前史
第3章 一八九九年の憲法行脚
第4章 知の結社としての立憲政友会
第5章 明治国制の確立―一九〇七年の憲法改革
第6章 清末改革と伊藤博文
第7章 韓国統監の“ヤヌス”の顔

 

6月24日(月)14°→19°、終日雨、6000歩

 

午前  19°ショボーン 本州は各地今年一番んの暑さというのに。

 

雨の中指定日なので耳鼻科に行く+散歩、もう大体治癒したと思うのだが、2週間後にまた来院せよ、とのご託宣。約6000歩。

 

午後 ネットで各紙縦覧。『朝日』は恒例だが、ほとんどに記事が有料で読ませてくれない。その点『産経』と『夕刊フジ』は寛大だ。

6月20日(木)13°→23°、曇天&小雨。6700歩。

 

午前 散歩がてらウエスタンに。R-1、白菜など。堤防を鉄橋→堰→ウエスタン→自宅・・約6500歩ほど。

 

午後 PC、読書

 

6月22日(土)13°→25°、暖気戻る、5000歩。

 

午前 同伴でイオン西に買いだし。関内散歩5000歩ほど。

 

午後 読書 高田郁『あきない世傳』12・13読了。物語の筋はたわいのない出世、成功談。さりながら、江戸の商家や庶民生活に関することでいろいろ勉強になった本だ。

 

 仙貸紙、 海老繋(伝統模様和柄の一種らしいが、ネットでは画像に行き当たらなかった/それにしても和柄といのも豊富にあったらしい)

 

「お気の毒様 蝿の頭」

  江戸時代(何時の頃かは判らない)蝿の頭には「毒」と思われていて、お気の「毒」に掛けた冷やかしことば。深川遊郭が発祥とか。

『菜根譚』 書名のみ知っているが・・。現代語訳も出ているようだ。そのうち。

四十八茶百鼠

江戸時代に奢侈禁止令が発令され、これは布の種類から色までをも指定したもの。特に町人は派手でカラフルな色は禁止され「お構いなしの色」と呼ばれた茶色、鼠色に限られていた。
 そこで、膨大な種類の僅差の色が生み出されました。四十八茶百鼠は沢山の色というほどの意味らしい。

 

仙齋茶、団十郎茶 利休鼠 などなど。

 

そういえば、北原白秋の「城ヶ島の・・」にある「利休鼠」

が、なんで「ネズミ」と、不思議だった幼少を想起した。

 

6月20日(日)13°→24°くもり 3500歩。

午前  運び役でダイイチに、3500歩、畑キューリの世話、なにやらトマトも茄も元気がない。大葉初収穫。

 

今日は、沖縄慰霊の日、NHKはじめテレビは、「反省」「反戦」一色。

産経新聞『産経抄』が出色。以下再録。(赤字引用者)

 

<産経抄>平和は尊い犠牲の上に、沖縄慰霊の日   

 

 

特攻兵器「桜花」の搭乗員が別れの盃を交わした地点に建つ「桜花の碑」=鹿児島県鹿屋市

 

特攻兵器「桜花」の搭乗員が別れの盃を交わした地点に建つ「桜花の碑」=鹿児島県鹿屋市

  79年前のこの時節、多くの特攻隊員が若い命を散らせた。<たらちねの母の教えを守りつつ敵艦と共に我は散りゆく>。この辞世を残した高野次郎海軍中尉は22歳だった。『太平洋戦争将兵万葉集』(東京堂出版)に略歴がある。

▼第八神雷桜花隊員。昭和20年5月11日、沖縄に特攻戦死―。「神雷」は特攻を専門とした部隊の一つで、「桜花」は機首に大型の爆弾を搭載し、操縦席と木製の翼を取り付けた構造だった。米軍艦船の近くまで母機で運ばれ、標的へと滑降した。

▼生還を想定したものではない。それゆえに、「人間爆弾」とも呼ばれたそうである。沖縄の海では駆逐艦1隻を沈めたものの、多くが体当たりの前に撃墜されている。関東、東北、四国、九州…。『将兵万葉集』によれば、各地の若者が沖縄へ向けて出撃していることが分かる。

▼冒頭の高野中尉は富山出身だ。「祖国」を守る。その一念を貫いた戦いだったろう。沖縄はきょう、「慰霊の日」を迎えた。3カ月に及んだ沖縄戦では、日本の将兵と県民、米側を合わせて、約20万人が亡くなった。哀悼の誠をささげる日である。

▼「戦後80年」を前に、日本を取り巻く国際情勢は緊迫している。露朝はつい先日、軍事面などで手を結び、中国は台湾や尖閣諸島への野心を隠そうともしない。沖縄はこの先も、国防の最前線であり続ける。再び戦場にしないためにも、南西諸島を含む抑止力の強化を急ぎたい。

▼海軍報道班員として神雷部隊に同行した作家の山岡荘八は、高野中尉の出撃を見送ったという。その様子を伝える遺族への手紙に次の句を添えた。<散る花の眉の清しき五月晴れ>。自身を盾に、国を守った人々がいる。その尊い犠牲の上に、いまの平和がある。