日本文学作品鑑賞の授業で、『山月記』を読みました。
質問を学生自身で考えさせ、答えも学生同士で討論させたうえで、私に説明するという課題を出しました。
李徴はどうして虎になったのか、どうして狼ではなく虎なのか、人間と獣は何が違うのか…、いろいろな質問と答えが出ました。
「李徴は、実は臆病で卑屈だった。本当の自信はなかった」
「謙虚と卑屈は違う。謙虚は自分のいいところも知っていて、そのうえで足りないところを認めて努力する。卑屈は、自分の足りないところばかり注目して努力もしない」
そう説明したグループがありました。
そして、「卑屈な人は、周りの人のエネルギーを低下させる」と続けたのです。
すごく厳しい話なのですが、これが「外向的な人が好かれる理由」なのではないでしょうか。
もちろん、外向的な人がみな自信があって謙虚で…という訳ではありません。
また、内向的な人がみんな卑屈だという訳でもありません。
しかし、現実問題として、私たちは時間をかけて相手に本当の自信があるのかどうか、単なる内向的な性格に過ぎなくて本当は前向きな人なのかどうか、なんてことは考えません。
初対面ですぐに「この人は暗い人・後ろ向きな人・自信がない人・努力しない人」と決めつけてしまいます。
そして、周囲がそのように接するので、本人も少しずつそのような態度でしか周囲とコミュニケーションできなくなります。
MBTIという性格分析について、ほんの少しだけ教えてもらいました。(ちょっと高かったです)
講師の方は、「性格に優劣はない」と繰り返していらっしゃいましたが、本当にその通りだと思います。
内向的でも社会に貢献した方は無数にいます。
でも、単に内向的なのか卑屈なのかは、やっぱり区別したいなと思うのです。
「相手のエネルギーを低下させる」なんて思われていたら困りますよね、お互いに。
「幸せは権利ではなく義務だ」と聞いたことがあります。
たぶん、それは自分の為ではなく相手の為なのだと最近は考えるようになりました。
少なくとも、教師の心に余裕や喜びがないと、学生も元気にはならないでしょうから。