ミステリアスセッティング (講談社文庫)/阿部 和重
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発売当初、現代のマッチ売りの少女!と帯に書いてあったそうなのでマッチ売りの少女と比較をしてみたいと思う。マッチ売りの少女に関する考察は追記を参照。
共通点だが、どちらも女が身に降りかかる不幸によって死に至ってしまう話だということ。二人とも最後期には精神的におかしくなっているということ。
相違点はまず、マッチ売りの少女の不幸、死は回避不可能的に書かれているのに対し、シオリの不幸のほとんど、及び死は自らの行動の結果として招き入れてしまったものであるように書かれていること。第二にマッチ売りの少女における彼女の死因は凍死であったことから意識がだんだんと薄れていく死であったことが予想される。それに対してシオリの死は爆弾の爆発に巻き込まれての死。彼女は死の瞬間まで意識がしっかりとしていた。第三にマッチ売りの少女は父親に虐待されている(これは現在の日本の基準で言えば、の話で当時のデンマークで父親が行った行為が虐待として認められたかというとそういうわけでもないことを記述しておく)が、シオリは両親の愛は十分すぎるほど受け取っている。第四にマッチ売りの少女は少女であるが、シオリは19の女。少女と呼べる年齢ではない。これは私自身の主観である可能性が高いが。
そして第五に、マッチ売りの少女は短編である。それに対してミステリアスセッティングは少なくとも中編ではある。マッチ売りの少女は少女の死に際、その貧乏による不幸を不可避的に書くことによって貧乏人にとってのこの世の生きづらさ、あの世のユートピアっぷりを強調して書いている。まさにキリスト教的な童話である。「信じてれば貧乏でも救われちゃうよ、信じないと金持ってても救われないよ」
それに対して、ミステリアスセッティングではシオリの短い人生を描いている。彼女は多くの人物に出会い、彼女のバカ正直さを利用されながら最後には死んでしまうのである。この小説の中で彼女の唯一の味方は彼女の妹のノゾミである。ノゾミはシオリをやや偏愛的に愛している。SM的な愛で彼女の主人としていようとし、実際シオリが上京するまでの間はノゾミは主人でい続けた。ノゾミは主人として彼女のバカ正直さを利用しようとする数々の人間を放逐した。この妹が姉が上京したからといって姉を見限るとは思いがたいが、彼女は上京した姉を結果的に見限ったのである。守ってくれる人物がいなくなった彼女は不幸の連鎖へと落ちていく。大したことのない他人を信じきるということはかように危ないことなのか。フィルターを失った彼女は破滅の道へとズンズン進んでいく。人に騙され続けた結果として彼女は爆弾で死んだ。その話を子供達にしている爺さん。爺さんはこの話をメールでシオリという架空の女性から受け取っただけなのだ。はたしてシオリという女性が本当に存在したのか。
かようなまでにミステリアスセッティングとマッチ売りの少女は違う。ミステリアスセッティングはマッチ売りの少女のアンチテーゼとして書かれた小説である。作者はこのことを自覚的に意識しながら書いた小説を現代の「マッチ売りの少女」という発言をした。キリスト教が蔓延っていた中世ヨーロッパ世界では信じてれば救われた。しかし現在のマッチ売りの少女は信じてばかりいたから死んでしまった。この違いこそがこの小説、ミステリアスセッティングである。
追記。マッチ売りの少女考察。
覚書なので読みづらいのはご愛嬌。
筆者はマッチ売りの少女についてあまり深く読み込んでいないし、マッチ売りの少女が暮らしていた当時の時代背景もしらない。アンデルセンが住んでいた国であるデンマークでの言語感覚も私は共有していない。筆者はこのような典型的日本人であるので、マッチ売りの少女を読んでの感想として抱いたのは次の図式。(貧乏)×(幼女)×(死)=(凡庸な感動)。
マッチ売りの少女に関しての軽い考察。
母親の靴を履いて街までやってくる少女→母親の靴しか履けるものがない+少女を止める人がいない
靴が脱げて裸足→裸足ということを強調→靴下、もしくはそれに類するものを所持していない。
両足が赤く、かつ青く→裸足で歩いてりゃ痣くらいはできる。長い距離を歩いた結果。
雪の日に古いエプロンの中にマッチを入れている→雪の日に傘もささずにエプロン程度の保護下にあるマッチ。それなりの距離を歩くことをすれば、マッチが湿ってしまい火が点くことはなさそうである。
誤訳?日がな一日:前段落で夜の話だと語っているのにもかかわらず日がな一日とはどういうことだろ。
長い金髪が少女の首のまわりに美しくカールして下がっている。→寒さと空腹で顔真っ青なのに髪は美しい。→消え入りそうな生命力
少女は座ってしまう。父親は健在。
マッチを壁にこすり付ける。火が点く。→ここから彼女の見ている幻覚の記述。理由、濡れている壁でマッチが点くのかどうか、エプロンの中にあったとはいえ、マッチは濡れている可能性が高い。
最初の幻覚。ストーブ。今まさに少女を殺そうとしている原因の除去の欲求。
第二の幻覚。鵞鳥料理。食欲の結果。
第三の幻覚。クリスマスツリー。宗教的象徴。
「いま、誰かが亡くなったんだわ!」→少女の死。
第四の幻覚?クリスマスツリー(宗教的象徴)によって、「おばあちゃん」がいるところに連れて行かれる様子。現世よりなによりも天国はステキなところだよ、とでも言うような文が綴られている。
彼女の死体は薔薇のように頬を赤くし、口もとは微笑みを浮かべ→有り得ない話である。死の理想化。美しい死によって、死後の世界を理想的なものに見せようとする意図が伝わってくる。
少女が見たものを考える人はいなかった。想像する人はいなかった。→二回書くことによって現世に生きている富裕層の人々を強く非難している。「貧乏で寒さに凍えながらも、死に際に宗教的なものを思い浮かべたことで彼女は天国に行くことができた。」ということを強調することによって。
参考URL
「マッチ売りの少女」ハンス・クリスチャン・アンデルセン 著 結城 浩 訳
http://www.hyuki.com/trans/match.html