僕は以前まで極端な平和主義者だった。

人の愛を何よりも素晴らしいと思い、心の底から争いを憎んでいた。

 

僕がこんな状態になり始めたきっかけは明白だったがなぜか今まで気づかなかった。

 

大好きな人の死。これが僕を変えたきっかけだ。

 

彼女は18歳でこの世を去った。突然死。あまりにも衝撃的だった。

実感はある訳がなかった。彼女の遺体を見た訳ではないし、どこかに隠れているんじゃないかなんて思っていた。

 

その日から2.3ヶ月は涙を流しながら眠りにつく毎日が続いた。冷静に考えて、こんな状況で正常なはずがない。

 

僕は死をあまりにも身近に感じ、恐ろしくなった。

死に対して過剰に敏感になった。

 

彼女の死で僕以上に悲しんでいたのは、ずっと一緒に同じ道を歩んできた彼女の仲間たちだった。

それを見るたびに、人の愛に感動し、全身に力が入った。

 

なんて人は強いんだ。なんて人の愛は素晴らしいものなんだ。

そんなことをひしひしと感じるたびに悲しさと感動で泣いた。

 

彼女の死から半年が経ち、自分ではもう引きずってはいないと思っていた。

 

その頃僕は友人に

「世界には愛しかないんだ。なんで争うんだ。こんなに世界は愛に溢れているのに。」

と話した記憶がある。

 

人をものとして扱ったり、女をただの性の対象として見たりする奴らも許せなくなっていた。

 

この思想は彼女の死から一年半経つまで消えなかった。

 

一年半経ったごろから、僕は以前の僕に考え方が戻っていることに気づいた。

以前のゴミ人間に戻っていた。

 

きっと今の僕を一年前の僕が見たら激しく嫌うんだろうななんて何回思ったことか。

 

そして今日、ふとなぜ私はあんな思想を持っていたのか考えた。

その結論がこのブログで書いたことだ。

 

私は彼女の死という苦しみから解放された気になっていただけで、一年半もとらわれていたんだと気づいた。

今だからこそわかったことだと思う。

 

世間的には今の僕と以前の僕、どちらが好印象かと言ったら確実に以前の彼女の死を引きずっていた方の僕だろう。

 

でも僕は今のダメな自分が好きだ。

こっちの方が楽しい。

あんな思想はいちいち重くて正直潰れそうになっていた。

 

このブログを書いて僕は、人の死が他の人に与える影響の大きさを知った。

自分はとらわれていたんだ。

 

このブログはこれで終わりにしようと思う。