その場限りの甘美な言葉など、いくら書かれ、いくら囁かれてもなんの意味があるだろう。心とは裏腹なことを言ってしまうのもその人の善意から発していることはよくわかるけれど、遊びではなくて、真剣に生きている場合は、どんなに苦しくても、真実以上に価値のあるものはないのに。
「それは「別れるため」ではなく、ある事実を話したら、必ずいなくなるというにきまっているから、もしかしたら、別離の旅になるかも知れないと思って書いたので、言葉がたりないのだ。」
(中略)
「必ずいなくなるにきまっている」事実とはなんであるのかを考えました。そして、ひとつしかあり得ない事実を思いうかべ、相手に問いました。その人がうなずくのを見た瞬間に悲鳴のような声をあげて泣いたのを思い出します。
退路をたったのはわたしです。相手を信じないのはわたしの心の貧しさであると思い、無理にも信じようとした結果がこの不意討ちでした。
《あなたをそのために苦しめたことはすまないと思っています。でも、僕だって苦しんだ。言いたくないけれど、一緒に死んでほしい、とさえ思った。でも、それはしてはいけないのでしょう。これから未来のことを考えなければならない。
ともかく今僕がたった一つおそれているのは、あなたがいなくなることです。》
《朝、目が覚めてあなたのことを考えている。そして一日中。何も手につかない。僕があなたを誘惑した。多分そうでしょうね。しかし、僕にとってあなたは今、何にもかえがたい大切なひとだ。許して下さい。僕はあなたを愛してしまった。今まで一度も愛さなかった愛し方で。》
澤地久枝のエッセイ
『遊色』より