渋谷で働く元貧困情弱のブログ -5ページ目

渋谷で働く元貧困情弱のブログ

暗黒時代を経て、渋谷で働くクリエイターです。

神プロデューサーになるために頑張ってます!!
新規事業やりたい。

◆youtubeマイチャンネル ゲーム実況等
https://www.youtube.com/channel/UCmCEyq5puLJi-m-XPCB_Ulg

サボり魔で無断欠席のド底辺ギャルだった私が独学で公務員になれた10の理由+α

最近ビリギャルが流行ってましたね。
私大は入学金と授業料を4年間も払い続けることの方がよっぽど大変だと思います。
私大に行かねば成し遂げられないことってなんでしょうか。
今、タイムリーに、そこに行くメリットが自分の中で確定していることが大事だと思います。
そういえば
http://world-topics.net/stanford-made-the-tuition-free/
っていうニュースが以前ありましたね。すごい。
経済的な不安が人の行動と思考を妨げる一番の原因だと思っているので、
このニュースはやる気と行動力さえある変化を望んでいる若者にとって希望になりそう。

話がそれましたが、

公務員っていうのは自衛官のことです。
http://www.mod.go.jp/gsdf/jieikanbosyu/recruit/06.html
自衛官の中でも高卒でなれる特別職国家公務員です。特殊公務員です。
勉強して看護師資格取得と自衛官としての訓練も行いながらお給料も国家資格も取れます。
福利厚生はめっちゃ良い。
このご時世、うまい話ですね。

この特別職国家公務員に、当時どうしようもなく絶望していた私がなぜ
独学(塾・予備校・家庭教師を使わずに)で合格することができたのか説明したいと思います。
ちなみに元々頭が良かったとか進学校出身だったとかそういうのじゃないです。
中高ともに公立でした。高校も良くも悪くもない市立高校でした。
このブログの文章を読んでもらうとわかりますが、
地頭も特別良くはないです。普通だと思います。


◆1、お金がなかった
時はリーマンショック。16歳で母を亡くし、その1年後不況の煽りで父が勤めていた会社も倒産しました。
あるのは借金のみ。父は再就職せずで、実家も立ち退き勧告。実家消滅。
現実を受け止めきれず、何の準備も備えも予想もしていなかった私に選択肢はあまりありませんでした。
自分の力でなんとかせねば、と必死でした。故に独学でやるしかなかった。
質問や疑問は学校の先生に聞いていました。


◆2、選択肢がなかった
決めることが大事だと思います。社会に出たこともない私にとって将来の計画なんて難しすぎる。
特別職国家公務員になればお金も入るし、住むとこもあるし、
将来食いっぱぐれることもなさそう。
まだ夢も目標もないけれど、とりあえずここにいけばなんとかなりそう。
美味しいご飯やまともな生活ができるための希望でした。


◆3、地元から離れたかった
家庭環境に良いイメージを抱いていなかったのは前述でわかるかと思いますが
それでも友達や人に恵まれ、まあまあ幸せでした。
でもダメでした。
1年たっても仕事に就かない父、亡くした母を思い出す家、立ち退き勧告、
私や兄にお金だけをせびるようになった父にプライドはなかったのか、
家族だから当たり前だったのか、甘えていたのか、
母だけが生きがいだったのか、私たちの器が小さかったのか、
愛情が足りなかったのか、何が悪かったのか、
…よくわからなくなりました。
幸せだった思い出もあっていいはずなのですが、それすら思い出せなくなりました。
黒い暗いものに塗りつぶされてしまった印象の地元。
早く地元を出たくてしょうがなかったです。
目の前の現実から逃げたかったんだと思います。


◆4、自立したかった
父親に対しては今では好きとか嫌いを超えて無関心です。
もうできるだけ関わりたくない。
幼少期もいろいろ恨みが積もっています。関わらないのが最適解だと思っています。
そんなダメンズの父親から、離婚したくても子供を養うために離れられなかった母のようになりたくなかった。
(そんな単純な理由じゃないのもわかります。母の人生を否定しているわけじゃないです)
高卒初任給14万、生涯年収平均、なんて嫌だった。
(当時すでにバイトでそれ以上稼いでいた。)
自立して生活も何不自由なく、好きなことして、遊べるだけの余裕と自信が欲しかった。
女ひとりが自由に生きていくのに必要な技術や処世術、経験・自信を身につけたかった。

◆5、勉強が好きだった
昔から勉強は好きでした。自習もできました。
やれば時間をかけた分、テスト結果として返ってきます。褒められます。
自信にもなりました。進路選択の手段になりました。
元々やらなくてもできたわけじゃありません。
学校の課題がこなせずにやばい、遅れると思ったこともありましたし、
自宅では復習予習をおこなっていました。授業も真面目に聞いていました。

◆6、夢中になりたかった
とにかく現状にストレスが多かったです。
忘れたい過去もストレスも雑念も、集中モードになることで忘れることができました。
少し難しいけど必ず”答え”が存在している勉強をこなすことは
嫌な現実から逃避する手段であり、将来への希望でした。

◆7、とにかく変わりたかった
強くなりたかった、ひとりでも生きていけるように早くなりたかった。
悲しさなんて感じたくなかった。さびしいなんて思いたくなかった。
友達にいつまでも甘えていたくなかった。他人を頼ることができなかった。素直じゃなかった。
私にとって世界は平和じゃなかった。自信がなかった。
変わりたかったし、変えたかった。変化を望んでいました。

http://www.geocities.jp/yamamrhr/ProIKE0911-104.html
こういう情報をネットで見てしまうんですよ。
私は何かに自分の人生を左右されるのが昔から嫌でしかたありませんでした。
ソースは探したけどみつからなかったのですが、
当時貧困出身で親の年収を超える子供は数%しかいない、
年収1000万以上になれる子供は1%もいないっていう統計?か何か情報を見たんです。
それがすごく悔しくて。
「うるさい、私は違う、絶対こえる」って思いました。
そういう反骨心も大事だったと思います。

◆8、なんかカッコいいと思えた
自衛官で看護師…なんかかっちょええー(´Д` )フー
考えが浅く感情で動くJKだった私にとって
その肩書きだけでクールに思えました。

◆9、東京にいきたかった
職も人も夢もチャンスが集まっている東京に憧れていたのかもしれません。たぶん。

◆10、時間があった、欲を満たすために効率を考えた
バイトもしながら友達と遊びながらでも勉強する時間はJKだからこそありました。
月3万のボロアパートでも、寝むれてシャワーを浴びることができて休めて学校に行ける。
勉強する時間も、バイトに通う時間もありました。
進路志望が決まればそれに絞って勉強を自宅・学校問わず進めていました。
大好きな友達と遊ぶ待ち合わせの時間の合間も、バイトの休憩時間も
寝食遊びと合間をぬって勉強しました。
遊びたかったりお金が欲しかったり欲があったからこそ、
効率よく集中して勉強することができたと思っています。
目的達成のために必要な情報収集には手間を惜しまなかったです。

◆+α、友達がいた
もうひとつありました。これはむずかしい。
友達がいたからこそ、比べたりして苦しかったこともあったんですが
それでも励ましてくれる人の存在や、
同じく貧困出身で夢のために頑張っている人や、
同じような悲しみを背負っても強く生きる友達のおかげで
モチベーションを維持できたのかもしれないです。

以上、ド底辺JKだった私が独学で公務員になれた10の理由+αです。
参考になんのかな、これ。
実際どんな勉強をしたのかは次回で書きたいと思います。こっちが本題ですね。


貧乏って本当にこわいです。
将来や夢、わくわくする未来に必要な情報を調べるための手間を惜しんでしまいます。
知りたくても余裕がなくて調べない、そのままにする。
貧乏暇なしが心の余裕をなくします。
将来のことを選択するために必要な情報なのに、
貧乏からくる余裕のなさが、現状脱却へのチャンスを喪失させます。
余裕のなさが現実から目を背けて思考停止させます。
貧乏が悪いってわけじゃないけど、そういう側面がある。

別に何かがなくっても、
愛する友達や恋人や家族、愛する仕事や、愛する趣味、
愛する何か、があればその人は幸せだと思います。たぶん。自分でしかないから憶測だけど。
ただ、私の経験上、貧乏ってマジこわって感じでした。
貧乏に悩まされていろいろ苦しかった暗黒時代でした。

ここまで読んでくださってありがとうございました。
何かの足しになれば、と思います。
私は当時、苦しい環境から幸せになった人や成長した人の話を聞くのが大好きでした。
自分も変われる・変えれると信じることができたからだと思います。

ありがとうございました。