いつも見に来てくれて有り難うございます。


休みなく8年介護しながら仕事すると
体に無理がいってくるのはわかっている。
でも、仕事はきつくて大変だけどやっぱり楽しい。
身体と心のバランスが悪い見知得です。('-^*)/

今日は、実家に着いた辺りで携帯がなくなった。叫び
多分実家にあると思うんだけど鳴らしても
バイブにしとったみたいでわからない。
明日も見つからんかったら届けたほうがいいやね。あ~あ


まだ、安心は出来ませんが少し落ち着いたので
下咽頭ガンの義父のお話です。
義父の白血球増加o(^▽^)oからの続きです。
なかなか、PC使えないので長々書きます。


義父はトイレが近くなるのがいやだといって
水を飲まないので、義母が工夫して「活」を食事に入れ、
体重は退院してから6キロ増え食欲旺盛だ。

しかーし、1月の半ばに「活」がなくなる頃だと思い
連絡をすると、義母がまだたくさんあると言う。むっ
義父が味噌汁やスープ類を作ると中の具材だけ食べて、
お汁を残すけ、もったいなくてあまり使ってないって・・・。
白血球の数値を聞くと3360でこの前よりも下がっていた。

退院時 2360 → 4400に上がっていたのに・・・。

1/25に手術をするかその後の話をすることになっていたので、
義母におかゆに「活」を主に入れるように指示して1週間飲ませた。
25日の採血結果は白血球5680まで上がっていた。
標準値やん。これにはアタシはちょびっとびっくりした。


この結果を見て、主治医は「義父さんは白血球が下がらんよねー。」っち
言いながら体力もあるし手術を今なら出来るとかなり進めた。
しかぁーし、義父は断固として首を縦に振らない。
結局、1/3まで小さくなって入るが進行ガンなので、
点滴タイプの強いの?に抗がん剤を変えることになった。
(頭ははげる。効果があればガンはかなり小さくなるっち言い寄った。)

2/1に1回目を打つ。2日後辺りから体調が悪くなる。
だんだん顔が腫れて来て食欲が落ちてきた。口の中もあれる。
1週間後に病院に行く事になっていたが様子がどうもおかしい。
1日前やけど病院に行くように義両親に言う。

2/7に病院に連れて行くと先生の顔色が変わる。
面会謝絶の緊急入院。主治医は詳しいことは教えてくれない。
えらく立派な部屋(3畳の和室にでかいテレビなどなど)
免疫力がかなり下がっていたらしく、
面会は短時間、マスクに使い捨ての割烹着しないとはいれない。

義母が言うには主治医は義父にきつい思いをさせて悪かったね
っち言ってたそうだが、
入院して二日後に口内がただれている為歯科医の先生が来て、
「5000あった白血球が600まで下がって大変やったね。」
っち・・・。えええーーー600ぅ~叫び
言われてアタシ達はびっくりして声も出らんかった。
1日遅かったら、検診日まで待ってたら死んでたんじゃないかい?

11日に面会謝絶と普段の服装で入れるようになった。
看護婦さんに、採血のデーターがほしいこと。
主治医から緊急入院したにもかかわらず、詳しく話がないことなどを伝えて帰った。

するとよ!
12日に義母が行くと主治医が待っていて、
義母にも大変な思いをさせたね的な話をし、
白血球が上がったしすぐに退院しても大丈夫だからと言う話をしてきた。
でも、雪が降ったりして急に寒くなったので無理だと義母がお願いし、
14日の午前中に退院して帰ってきた。

アタシはたまたま偶数の日が全部仕事で付き合うことが出来ず、
義父と義母は結局採血のデーターも何ももらわないまま、
追い出されるように退院してきた。
ちょっと病院がやりかぶってんじゃない?って感じ。パンチ!

アタシが腹を立ててメラメラ色々言ってると、
旦那は「病院っちゃそんなもんよ。」っちしねーっと言う。


義父は家に帰ってから、寝たきりだったので体力も落ちてるようできついみたい。
旦那が様子を見に行ったら横になったまま、よく水を飲んでたらしい。
どういう心境の変化やろ。食欲はあるようなので安心した。
「活」飲めば自己治癒力が上がるけ細胞の助けにはなるやろう。
義母に「活」の原液を入れておかゆを作るように伝えた。

でも、これ以上の抗がん剤は無理と思う。
どれぐらいガンが小さくなったかは来週の検診日聞くようになっている。
義母とポスピスに入れたほうがいいのかねーっち話してるとこ。
21日は休みやったら病院について行こうと思いよる。

白血球を早く増やさないとまじでやばい状態の義父です。