○●○●○●○●○●2017.3.7.

 

応援団 NO.。225(最終号)

 

ありがとうございました・・・♪

 

 

「いっしょに勉強しようか?」と、

私の娘の友達の妹さんに

声をかけて始まったのが「がんばり塾」でした。

 

お姉ちゃんの授業参観に来ていた1年生の女の子。

宿題の算数のプリントを

廊下のベンチを机にやっている様子を見ていた私でした。

 

突然やってきた退職から半年、

まだまだその気持ちの整理もできないままの日々を過ごしていました。

毎日の主夫業に四苦八苦していた頃でした。

 

6年生の娘の授業参観に行って、

地区の子ども会の活動で

ご一緒していたお母さんと出会い、

廊下からいっしょに参観していたのですが、

ふと振り返るとその妹さんが宿題のプリントをしていたのでした。

 

その妹さんの存在は娘から聞いていましたが、

実際に会うのは初めてだったと思います。

 

私はついついのぞきこんで

どうやっているのかを見つめていました。

引き算のプリントでした。

「15-3」のように繰り下がりのない引き算でしたが、

その子は「10の位」の数字にも気持ちがいってしまって、

「1の位」の答えがすんなりと出せない様子でした。

 

困った顔して私を見上げる顔。

まだはずかしさもなく「なんでかなぁ~?」という表情。

私はその顔を見てつい声をかけました。

「10の位」の数字を手で隠して、

「こうしたらひけるよね?」というと

「う~ん?」ちょっと自信なさげ。

 

「ここからこれを引いたらいくつになる?」

「2!」

「できるやん!」

そのまま隠した「10の位」を出して、

「「これが答えだよ」というと、

「あ!そっか~!」と

パーっと表情が明るくなったのを覚えています。

 

「おいちゃんといっしょに勉強してみやへん?」と

私はほとんど無意識に言っていました。

するとそばにいたおかあさんが

「そうや!先生やん!教えてもらいな!」と

私の言葉の背中を押してくれたのです。

「やるぅ~!」といったその時のその子の顔は今でも忘れられません。

 

一番驚いたのは、私自身でした。

復職できるものなら復職したい、とばかり思って

もがきにもがいていたそれまでの日々。

かなうはずのない復職。

しかし、捨て切れない教職への思い。

そんなモヤモヤしていた気持ちが

スーッと晴れていくような気がしたのでした。

 

「塾」という形で地元の子どもたちと接しながら

いっしょに過ごすことできるなんて思ってもいなかったですから。

 

「そのためにはどんな準備が?」

私はもうすでにその子との勉強内容を考え始めていました。

 

 

そうして始まった「がんばり塾」。

 

おかげさまで、この1年生の女の子の学年には、

同級生の子どもやその親戚の子、

その兄弟姉妹、知り合いの子を紹介してもらったりして、

少しずつではありますがその輪が広がっていってくれました。

またその話をどこから聞きつけたのか、

教職最後の勤務校の子で

私が現役の時に教えた子や

その弟、妹とへつながっていきました。

 

月から金曜日の3時から6時までの時間割が

いっぱいになったこともありました。

もちろんその頃は一対一では対応しきれず、

兄弟姉妹セットの時間や近くの子どうしで

1時間に4人座ってところせましとやっていたこともありました。

居間の机が今広々と机が二つ並んでいるのは、その頃のなごりです。

 

正直に申しますと、その頃の私は、

そうしたバタバタの日々へ自分を追いやり、

教職への未練を断ち切ろうと必死であったようにも思います。

 

さらに学校ではできない少人数での対応を充実させることで、

現役時代では得られることのなかった、

自由で、思い通りの「自分の教育方法」「教育技術」を

誰にも邪魔されずに取り組むことができるということに

大きな喜びを感じていたのだと思います。

(百題計算もそのひとつです)

学校という場所は、学年や学校の「しばり」のようなものから

逃れることはできませんでしたから。

(←その分その責任は大きく、お給料もいただける、というわけであって)

 

 

私は、小学生の時から「先生になりたい」と思っていましたので、

学生から教職についてからも

自分を生かせる場としては「教壇」しか考えていませんでした。

考えられませんでした。

 

学生時代の経験や成績や自分の学校生活すべては

「この仕事」のためにあるものだと思っていました。

そして、無事にすんなり教師になり、

自分の理想を求めて教師を続けてきました。

 

もちろん学校によって

地域によって

先生方のスタッフによって大なり小なり変わるものでしたが、

「子どもに向かう気持ち」と

「保護者といっしょに」という姿勢は、

先生になってから学んだことではありますが、

決して忘れないようにしていきたいと思っていました。

もちろんそれは今も変わりません。

 

しかし、そんな私だったからこそなのかもしれませんが、

この「仕事」という部分での姿勢が

抜け落ちていたのかもしれません。

 

ちょうど私が先生になった年度から

教師のお給料が銀行振り込みになりました。

ちょうどその切り替わりの時期で、

5月に4月分のお給料だけは現金でもらったのを覚えています。

金銭間隔の無さもあって、

その頃の私にはその金額の意味が分からなかったです。

そしてそれ以降私は

自分の「仕事にみあうお給料」を書類での確認でしか、しなくなりました。

 

それがいけなかったのかな~?

 

授業をすることの意味、

子どもの人間育成に努めるという責任など、

目に見えない大きな「仕事」であるということを。

もちろん「子どもを育てる」ということは、

生半可なことでできることではありません。

私自身もそういう意識は持っていましたし、

授業や行事の研究をおろそかにしてきたつもりはありませんが、

他のお仕事と比べて結果が見えにくいということは

先生たちの話し合いのなかでもよく言われたものです。

その「目に見えにくい結果」について

「どこをどう見るか」ということで、

教育という仕事は他からの批判も受けやすいし、

教師自身も1時間の授業の「価値」を

見失いやすいという側面があると思うのです。

 

私だけなのでしょうが。

 

これは教師をやめてから気づいた、大きな反省のひとつです。

 

 

私が勤めてきた「仕事」という面での教師。

私の全人格全能力で子どもと向かうという姿勢は、

ある意味「行き過ぎた働き方」であったのかもしれないと思うのです。

「自分」「自分」が強くて、

「家族のために働く」

「自分の人生をよりよく生きるために働く」といった、

私の人生の生活の部分がすっぽり抜け落ちていたのではないか、

と辞めてから思うようになりました。

 

「先生に担任しててもらって、この子変わりました!」

「先生のおかげで自分に自信が持てたようです」

「ありがとうございました」

こんな言葉をどれだけ多くの保護者の方々からいただいたことでしょう。

生き生きとした笑顔で成長していく子供たちの姿から

どれだけ元気をもらったことでしょう!

 

それは、「仕事」だからとはいえ、

それはそれはうれしい喜びでした。

ただ、

そうやって言ってもらえることが

仕事としては「あたりまえ」という

私自身のおごりのような部分が

自分の中にありはしなかったか。

全身全霊でぶつかっていくのはいいが、

そのあと残った後は

ぼろぼろになった自分の人生と家族。

 

そんなバランス感覚を

持ち合わせていなかったのでは、と。

 

 

…「がんばり塾」をしながら10年、

 

そんなことばかり考えていました。

 

そんなことばかり考えてはよく泣きました。

 

そんなことを考えないように、

忙しく塾をやることで、

子どもたちといっしょに大笑いすることで

忘れようとしていたのではないか、とさえ思ってしまいました。

 

 

 

 

 

でも、それももう「今」「ここ」で書くことで、

忘れていけるような気持ちがしています。

 

それは、これまで学校で出会った教え子たち、

塾で出会った子どもたち、

そしておうちの方々とのつながりが、

退職後もずーっと続けてこられたからこそ

実感できることのように思っています。

 

子どもたち一人一人にとって私は「ひとりの先生」なんだろうし、

それはおうちの方にとってもそうなんだろうと思います。

それが、逆に私から言うと、

その子その子は一人一人だし、

おうちの方もそれぞれのご家庭があり、ということです。

 

そういう意味でも、

私は出会った子どもたち保護者の皆さんから、

すんごい多くのことを学ばせていただきました。

出会った子どもたちや保護者の方の分だけ、

私自身の「これから」という未来に向けて、

「自分に何ができるのか」を

常に問い続けてきたのでした。

 

そして、

「どういっしょに学んでいけばよいか」ということを

いつも考えさせてくれたのは、

やっぱり目の前の子どもたち一人ひとりでした。

 

 

「あの時」、

病気療養で学校を辞めて、

こうして塾と出会って、

と思うと

退職したことも

「がんばり塾」へとつながっていくものだったのかもしれないな、

と思うのです。

 

それはそれでよかったのかな、と。

 

そう思えるようになってきたのも、

これまでに出会った子どもたち、

そして今年度の子どもたちと出会えたことです。

そして、おうちの方のお力添えのおかげだと思っています。

 

感謝の言葉もありません。

 

本当に、

本当にありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

さて、いよいよ、というか…、お別れです。

 

ついつい過去のことを思い出しては

「あぁすればよかったのかなぁ」と思う日々とも、

この最終号とともに私の中でも昇華させようと思います。

その記念すべき第一歩を踏み出す「最終号」にしようと思います。

 

20年の教職生活と10年間の「がんばり塾」生活とも、

いったん自分の中で区切りをつけて、

素敵な思い出と

子どもたちの笑顔と

おうちの方のやさしいお声がけだけを

心に残して、

「次」の「私」へと歩きだそうと思います。 

 

「何をしたい」とかいうことは、

これからゆっくり考えていこうかなと思っています。

この10年間で身に着けた大きな仕事、、

「主夫業」もありますので、

そのことも含めて、

一度じっくり自分自身を見つめ直してみようかな、と思っています。

 

 

 

6年生の皆さん、ご卒業おめでとうございます♪

 

いっぱいの笑顔を ありがとう!

 

楽しい「がんばり塾」を ありがとう!

 


中学校での活躍をお祈りしています♪

 

またいつでも遊びに来てくださいね♪

 

 

 

今度来るときは、

こそ~っと玄関に隠れたりしないで、

大きな声で

「こんにちは~!」と叫んで、

扉を開けて入ってきてくださいね(笑)

 

 

では、また、次に会う日まで…。

 

 

ありがとうございました♪

 

・・・そして、「がんばり塾」を

 

      ありがとうございました♪

 

 

 

 

 

  

応援団長のブログ 『応援団』 → http://ameblo.jp/kattyan5-mobile/

 

    (私の、この10年間がつまったブログです。よろしければまたゆっくりご覧ください)

 

 

 

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( 感謝 )

 

 

 

 

(^_^)v

 

 

 

 

 

応援団長より