○●○●○●○●○●2017.2.10.

 

 

応援団 NO.224

「もっと早く出会っていれば…」

 

 「もっと早く先生と出会っていればよかったのに~」

と言っていただくこと、私はとてもうれしい気持ちになります。

もちろん私ももっと早く出会っていれば、

あんなこともできた、

こんなことにも取り組めたかも…などと思いめぐらせます。

 

しかしそう思った時に、

「今、こうして出会えていることを大事にしたいな」

って思うのです。

 

出会うことのなかった過去はやっぱり過去のことであり、

もう変えることはできません。

でも、「出会っている今」は、確実に「今、ここ」にあるわけですから、

「これから」もっともっと出会えるチャンスはあるわけですから。

「この出会っている今」を大切にして、

中味の濃いものにして、

その後もお互いに連絡は取れるわけですから、

「ここから」始めていくことはできるわけですから。

 

今、こうして出会えたことは、

「過去」のつながりや積み重ねの結果としてあるということ。

私は、そう思っています。

 

おうちの方から「もっと早く出会っていれば」という言葉を聞くと、

これまで続けてきたことは間違いなかったんだ、

と感謝の気持ちでいっぱいになります。

 

そして、いろいろ悩んで遠回りしながら

七転八倒で歩んできたこの10年を振り返りながら、

いろいろあったけど

『この今があればそれでいい』

と思えるようになってきている今日この頃です。

 

私は幸せものです♪(ポジティブ過ぎるかな?)(笑)

 

 

さ、私たちは、出会ったばかり!

「ここ」から始めましょう!

始まったばかりなのですから!    

 

…これからもよろしくお願いしますね♪

 

 

「反抗期」?…「思春期」について♪

 

子どもが小さいときに一度、

「反抗期」みたいなのがありますよね。

「なんでも、いやいやって言って困ってるの~」なんて話しますよね。

でもその時は、それほど気にならないのはなぜでしょう?

なのに、中学生の頃にやってくる「反抗期」というか、

「思春期」の方が言葉として適当かなと思うのですが、

この「思春期」の頃の子どもの心の変化、言動について、

どうしてこんなにも親もいっしょになって悩んでしまうのでしょう。

 

私自身の場合、4,5歳の時、

自転車で今の関西線の堤防を、

弟を背中におぶった母の自転車の後をついて行った時、

(当時はとなり町にある商店街にまで自転車で買い物に行っていました)

母が後ろの私を振り返りもせずに

どんどん行ってしまうのです。

私はその堤防が当時は今のように整備されてなかったので

道から落ちていきそうで怖くて怖くて!

「後ろ見てみろ!落ちていったらどうすんのや~!」

と泣きながら叫んだことを覚えています。

 

一度だけ父にほっぺたをたたかれたことがあります。

理由は覚えていないので同じように小さかった時だと思います。

 

大学の寮に入ることになった夜、

廊下で泣きながら

「もう明日になったらおらんくなるんやぞ!

」と廊下の壁をけったことがあります。

 

 

息子の場合、

「あの頃は完全に反抗期やったな」と後々話してくれたことがあります。

小学校5年、6年の頃。

その頃は私も病気になって仕事も辞めて2年ほど経っていました。

どうも担任の女の先生に対して

うまく気持ちを出していけなかったようでした。

私も療養中でしたのでよく覚えていません。

中学校へ行ってからは、友達とうまくいかず、

自分を抑えながら毎日を過ごしていたようでした。

そのこともあってか成人式は帰ってきませんでした。

彼なりの苦しい学生時代だったのだろうな、と

想像することしかできません。

 

下宿して仕事をするようになって、

帰ってきたときにポツポツ話してくれるようになりました。

 

 

娘の場合、まさに今、です!

今年になってからは、それほどでもなくなってきましたけどね。

朝、駅まで送っていく、

帰りも駅まで迎えに行くというのが私の日課なのですが、

忘れ物したり予定を言わなかったり、

突然送ってほしいと言い出したりがしょっちゅうでした。

それでも悪びれることもなく

「送ってもらうのは当然よ!」

みたいな態度にカチンときたり無口で反抗したり、

そんなことのやりあいがここ2年くらい続いたでしょうか。

卒業を前に卒論も出したので気持ちにもゆとりがでてきてからでしょう。

「ありがとう」

「いつもごめんなさい」

という言葉がやっと聞けるようになってきました。

今では、あの頃ムカついて暴言はかずに

自分でもよく我慢したな~って思い返します(笑)

 

 

子どもは「子ども自身の世界」で、

その子なりの悩みや苦しみをかかえて生きているのでしょうね。

それが、大人の世界がちらついてくると

不安で不安で仕方がないのだと思います。

でもそれを親に「子どもみたいに」口に出して相談できない。

相談したってわかりっこない、って思っているのだと思います。

そこへしつこく聞いていっても素直には話せない。

「まだまだ子どもだな」と思われそうで。

「もう小学生じゃないんだから」

「もう子どもじゃないんだから」という意識だけは高くて、

することやることは「子ども」のまま。

そんな自分にもイライラしたりして。

そんな自分がわかっているからなおさら、

つい出る言葉は

「わからん!」

「うるさい!」

「ほっといって!」になるのでしょうね。

私もそうでした。

 

じゃ、親はどうすればいいのか…。

 

私は、親自身が楽しく働いて元気に過ごして、

これまで通りでいいのだろうと思います。

もちろん「あのさ」って言ってきたときは、

ひとりの「大人」として聞いてあげる。

答えはなくていい。

「私は~こう思うな」

「こうしたほうがいいんじゃない?」

とアドバイスをする。

必ず「その道」を選ぶのは子ども本人に決めさせる。

あとは、どう過ごしていくか「その子の毎日」を見守ってあげること。

失敗しても間違っていても、本人に責任を取らせること。

これが親の役目ではないのかな、と思います。

 

私たち大人だっていっぱい失敗して

いろいろ覚えてきたように、

「思春期」の子どもたちは、

まさにその人生の「大人の入口」にきている

ということなのだと思います。

憎たらしいことをいってきたら、

「お、成長してるな!」

と見守りながらやりあえばいいんだと思います。

 

 

「思春期」の子どもの言動に振り回されてしまうのは、

おうちの人がその子どもと同じ「心の段階」まで下りていって

手を差し伸べようとしてしまうから。

その手をはらわれたとき、

自分が傷つくのが怖いからではありませんか?

「今、やることをやる」そのことひとつ大人がしっかり柱を持っていれば、

少々のことは大丈夫!

 

で~んと構えていつもの笑顔で笑い飛ばしてやれ!…くらいで。

「子どもは子どもの人生なんだから」くらいで、ちょうどいいのかもしれませんね。

 

(少々、表現に行き過ぎたところもありますが、

おうちの方への励ましと思って書きました。お許しを)

 

「過去は変えられないけど、今、これからのことは選択できるし、変えていける」

このお話も、結局「ここ」に落ち着いたことが、自分でも不思議です。

 

親の人生も子どもの人生も、何度でも「今」からやり直せるんだから、ってことですね!

 

 

 

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(^_^)v