○●○●○●○●○●2016.12.5.

 

 

応援団 NO.219

 

スマホの話の続き→)

 

スマホを手にして約3週間。ショップへ行っていろいろ聞いてきたことで、

少々気持ちも安定してきました。

「慣れるしかない」ということとともに気をつけたいこと。

 

「○○をしよう」と思って始めても、

そこにたどり着くまでにいろいろな設定や暗証番号などが聞かれ、

その操作をしているうちに「今のうちにこれもしておこう」という誘惑に惹かれて

いつまでもスマホを触り続けてしまう。

結局思った以上に時間が過ぎていることが多くなってしまう。

 

「子どもに携帯・スマホをいつ与えるか」ということについては、

家族でよく話し合うことが大切。

この場合、「その危険性(のめりこんでしまうこと・通信料は親が支払うこと)」や

「さまざまな誘惑」があることを、

親が実際に使っていて『知っていること』が大事だと思いました。

 

また、子どもがきちんと納得できるよう話し合うこと。

これは普段の親子関係づくりと同じだと思います。

「私のうちでは、高校生にならないと持たせてもらえないの」と

はっきりとどこででも友達にもきちんと言えるといいですね。

 

(私も実際今回自分のスマホを持ってみて、

「これは高校生くらいでないと

自分を抑えることができないかもしれないな」と感じました)

 

それぞれのご家庭での問題だと思います。

機会を見つけて家族みんなで話し合いを続けていくことが大切なのでしょうね。

むつかしい問題ですね。

 

私たちが子どもの頃「テレビ」が出てきた頃、

そして「ゲーム」が流行った頃、

これらと同じように「スマホ現象」も

きっと「あたりまえのもの」になっていくのかもしれないなぁと思いました。

 

 

藤原岳・聖寳寺もみじ祭り

 

 

 

「教育に完璧というものを求めても意味がありませんが・・・」

 

中学校の学校通信に書かれていた、

校長先生の文章の中にあった言葉です。

先週その文章を読んで、

私にも少し身に覚えがあったので、

その経験を思い出したお話を書きます。

 

現役の時、6年生を担任していた時です。

クラスの子どもたちがどうも表情が硬い子たちでした。

笑わせようと思って話してもどうも反応が鈍い。

「え~また~」

「もうええわ」

「どうせアカンのやろ」

「こんなんしたくない~」

と聞こえてくる言葉もやる気なし!

机にうつぶした格好、教科書開けない…。

高学年には、よくありがちな光景です。

もう20年も前の話ですが。

 

そんな子たちに私も叱る元気さえ無くなっていきました。

お互いにそうなってしまうと、教室にいてもおもしろくない。

私も楽しくない!

休み時間になると子どもたちはみんな

隣のクラスやトイレや廊下へと逃げていく始末でした。

 

あの頃のことを思うと、

私(大人・担任)までいっしょになってふさいでいてはいけなかったことを

今更ながら反省します。

その時の私は、子どもたちの言葉や態度だけを見ていて、

きちんと「子どもたちは、子どもなりに自分自身と戦っている」

ということわかっていませんでした。

その苦しみのサインだったと、今では思えるのでした。

 

いわゆる子どもたちが迎える「思春期」「反抗期」というやつです。

「誰のために勉強しているのか?」

ということを前にも書いたように思うのですが、

もちろん

「自分のため」

「自分の好きな仕事につくため」です。

 

このこともきっと反抗期の子どもたちもいやというほどわかっているんです。

そして見えない未来に大きな不安を抱えているんです。

それを悟られたくないから、

口悪い言葉を言ったり気力なさそうな態度をしたりするんだと思います。

これは大人を試していると思うのです。

そういう無気力な「私(子ども)」に「大人(親や先生など)」は、

確固たる信念をもって毎日を生き生きと過ごせているのかどうか、を。

ですから以前の私のようにいっしょになって落ちて行ってしまうと

子どももいっしょに落ちていくしかない。

「歯止め」をかけるのは、

「今を精一杯楽しく生きて、毎日意欲をもって仕事をしている大人たちの姿」なのです!

 

では、実際どう接するか。

大人は「いつもの自分」であればいいのです。

ほめることも叱ることも無理に声掛けする必要なし!

もちろん手伝い・手出しも必要なし!

「これ以外のことは自分でやりなさい」と話し合って、

あとは子どもの様子を見守ればよいのです。

この「見守り」も過ぎてはいけません。

「早くしなさい!」

「次はこれするって言うとったやろ?」なんて言葉もタブーですね。

ちらっと「見ているよ」という視線と

、できた時に短い言葉で

「よし!」

「できたね」

「それが大事」など、これは絶対必要です。

 

そのあともう少しほめてしゃべりたいと思ったりしますが、そこは我慢!

ひとこと言ってあとは自分のことに戻ればよいのです。

これがいわゆる「子離れ」です。

 

反抗期は「親離れ」の始まりです。

それに対してこちら(大人)も「子離れ」の時期へと、

練習・訓練に入らなければならないということなのでしょうね。

 

必ずと言っていいほど「子離れ」より「親離れ」の方が先に来ます。

それに気づいたら親も「子離れ」に入らなければいけません。

この期間は、子どもの表情に笑顔が戻ってきたり、

優しい言葉をかけてきてくれたりするまで続きます。

根気比べです。

決して負けてはいけません。

かといってガチガチにならなくても、

いつものようにいかに自然に明るく楽しく「自分」でいられるか、です。

 

何か話してきたときに、きちんと向き合って聞くことです。

チャンスと思ってべらべらしゃべってはいけません。

 

聞く、ただただ子どもの話を聞くのです。

アドバイスもいりません。

「そうだったのか」

「私も考えてみるわ」

「よく話してね」

と言うだけにして。

 

こういうやりとりが

起きては静まり起きては静まり、

中学高校大学くらいまで、

長期間に渡って繰り返しながら、

お互いの考え方を理解しながら、お互いに育ち合っていく。

そういうものではないかなと、思うのです。

 

「教育に完璧を求めても意味がない」

 

完璧を求めがちなのは、

我が子には過去の自分のように失敗してほしくないと思う親心なのだと思います。

それは「我が子への愛」ですから決して悪いことではありませんが、

その「愛」がときに子どもの成長と「親離れ」を遅らせてしまうことになることもある、

ということを「大人」が忘れてはいけないな、と私は思うのです。

 

「完璧」を求めるのではなく、「いっしょに成長する」という姿勢が大切なのだと思います。

 

 

 

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(^_^)v