ある番組で、震災後に東北各県で催されているお祭りをモチーフにした大きなイベントの話題が出ていた。
2011年(平成23年)7月に宮城県仙台市で初開催され、2012年(平成24年)5月に岩手県盛岡市で第2回。
2013年(平成25年)6月に福島県福島市で第3回。
第4回は2014年(平成26年)5月に津波被災地外としては初めて山形県山形市で開催された。
今年は第5回が秋田県秋田市で開催される。
趣旨としては以下の通りだ。
「東日本大震災から、4年の歳月が過ぎようとしています。
このイベントも、初開催だった仙台市から盛岡市、福島市、そして山形市と回を重ねるごとに、東北の復興を願う一大イベントとして定着してきていることを実感しています。
秋田県内では今なお、多くの方々が住み慣れた土地を離れた生活を余儀なくされており、震災に伴う様々な課題を風化させてはならない、という想いを強く感じています。
復興はまだ道半ばであり、震災を語り継ぎ、東北の絆をより一層深めていくためにも、このイベントの継続は重要な意義があります。
開催にあたっては、「東北の心はひとつ、さらに前へ。」という早期復興への想いを強く表したいと考えます。
秋田開催では、竿燈の提灯に灯りをともします。雄大な日本海に沈む美しい夕日を背景に、会場を埋め尽くし、どこまでも高く立ち上がる光の稲穂は、東北の未来を明るく照らすものと確信します。
東北復興への想いを乗せた六つの祭りの魂が秋田に集い、
東北の輝きを、日本へ、世界へと発信し、訪れた皆様とも心を一つにできれば、こんな嬉しいことはありません。
2015年春、どうぞご期待ください。」
ということだ。
第1回と第2回、スタッフとしてイベントに携わった人と話す機会がありいろいろ聴かせて頂いた。
その中で「復興はまだ道半ばであり、震災を語り継ぎ、東北の絆をより一層深めていくためにも、このイベントの継続は重要な意義があります。」という大義名分の下、協賛する大手企業の儲け算盤イベントにすぎない。
と、いろいろな内部事情というか、書いてはいけないような事もさまざまと聴かされた。
以来このテのイベントには腹立たしさと不信感以外の何も感じなくなった。
いや、復興を謳う全てのことに…
と言った方がいいかもしれない。
トラウマ…
というのだろうか。
悲しくも、どこの世にもどんな場面であれ損害を被る人がいれば、その恩恵に与る人もいる。
需要と供給みたいなものなのだろうか…
それで世の中は回っているのだ。
それが俗に言う「出来ることをする」
ということなのかもしれない。
2011年(平成23年)7月に宮城県仙台市で初開催され、2012年(平成24年)5月に岩手県盛岡市で第2回。
2013年(平成25年)6月に福島県福島市で第3回。
第4回は2014年(平成26年)5月に津波被災地外としては初めて山形県山形市で開催された。
今年は第5回が秋田県秋田市で開催される。
趣旨としては以下の通りだ。
「東日本大震災から、4年の歳月が過ぎようとしています。
このイベントも、初開催だった仙台市から盛岡市、福島市、そして山形市と回を重ねるごとに、東北の復興を願う一大イベントとして定着してきていることを実感しています。
秋田県内では今なお、多くの方々が住み慣れた土地を離れた生活を余儀なくされており、震災に伴う様々な課題を風化させてはならない、という想いを強く感じています。
復興はまだ道半ばであり、震災を語り継ぎ、東北の絆をより一層深めていくためにも、このイベントの継続は重要な意義があります。
開催にあたっては、「東北の心はひとつ、さらに前へ。」という早期復興への想いを強く表したいと考えます。
秋田開催では、竿燈の提灯に灯りをともします。雄大な日本海に沈む美しい夕日を背景に、会場を埋め尽くし、どこまでも高く立ち上がる光の稲穂は、東北の未来を明るく照らすものと確信します。
東北復興への想いを乗せた六つの祭りの魂が秋田に集い、
東北の輝きを、日本へ、世界へと発信し、訪れた皆様とも心を一つにできれば、こんな嬉しいことはありません。
2015年春、どうぞご期待ください。」
ということだ。
第1回と第2回、スタッフとしてイベントに携わった人と話す機会がありいろいろ聴かせて頂いた。
その中で「復興はまだ道半ばであり、震災を語り継ぎ、東北の絆をより一層深めていくためにも、このイベントの継続は重要な意義があります。」という大義名分の下、協賛する大手企業の儲け算盤イベントにすぎない。
と、いろいろな内部事情というか、書いてはいけないような事もさまざまと聴かされた。
以来このテのイベントには腹立たしさと不信感以外の何も感じなくなった。
いや、復興を謳う全てのことに…
と言った方がいいかもしれない。
トラウマ…
というのだろうか。
悲しくも、どこの世にもどんな場面であれ損害を被る人がいれば、その恩恵に与る人もいる。
需要と供給みたいなものなのだろうか…
それで世の中は回っているのだ。
それが俗に言う「出来ることをする」
ということなのかもしれない。