無事に母を送ることが出来ました。
母が愛した息子や娘、母が愛した大好きだった孫たちの涙に見送られて、静かに父や姉妹の待つ未体験空間へ。
でも、母は仏間でいつもの表情で私と夫さんの会話を聞いているはず。
私は以前と変わらず、毎日3食を準備しながら、入院中の2週間禁止されていた好物を仏壇の前に並べながら、
いつになったら私は解放されるんだろうね、とぼやきながら、家が大好きだった母をこれから49日お祭りしていきます。
慌ただしい数日でした。
まさかまさかの母の死でしたが、実質辛い思いをしたのが3日間だったのが、この上ない幸せでした。
あの時に、入院させなかったら、あの薬を断っていたら、後悔は沢山ありますが、それが本当に母にとって幸せなのかどうかはわかりませんが、
苦しまずに数日で眠るように逝ってくれたことに、今では納得している部分があります。
今日は、兄たち、孫たちも皆帰り、今までの普通の日が戻ってきました、母の存在はありませんが、母はまだいます。
遺影の写真に話しかけながら、いまだに監視されているような
今日は少し時間もでき、やっと病院から持ち帰った品々の整理をしましたが、一つ一つ見ながら、病院での光景がよみがえり涙が出たりもしました。
でも、もう涙を出すのはやめようと思います。
母はキット私に色んな事を生きながらおしえてくれたんだなあ~って思えるからです。
今朝、長男が帰る前に、ぼそっと言った一言、「今回はいろんなことを考えさせられた」と。もうそれで充分だし、母の肉体は存在しないけど、母は私の心の中にいつもいてくれ、
「こらこら、だめだよ~」とか。
ひっそりと皆様に迷惑が掛からないように、母を送ろうと思っていましたが、ちくちくメンバーさん、同級生の方々には献花もいただき、足も運んでいただき本当にありがとうございました。
来月で8年目に入る種子島での生活ですが、母も娘のことを安心して見守っていけるとおもいます。
母娘、って本当に面倒くさい関係だとは思いますが、
今思えば、この7年間母と暮らせて本当に良かったと思っています。よくケンカもしましたが、お互いに言いたい事を言える間柄だから喧嘩もするし、
もし、自分が母を看ていなかったら、とっても気になったと思うし、母も遠慮があったりで、この年齢まで生きれなかったと思います。
薄情の様ですが、意外とさらっと心は軽くなりました。
これから日にちが経つごとに寂しくなるのかもしれませんが、少しづつ元の生活に戻す準備が出来そうな気がします。
このブログを来年の1月に読み返すことがあれば、きっと後悔だらけの内容になっているかもわかりませんが、人間無いものねだりの生き物と割り切って、前に進んでいくことにします。