これは父が亡くなった先月のことを書いた

その3です。

 

1か月も経たないうちに母の死もあったので

ブログも時間軸があっち行ったりこっち行ったり、、、、

分かりにくいとは思いますが

父の亡くなった日の記事を

ここで完結させようと思います。

 

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弟と家業の話をずっとしていて
ただ、弟も仕事があるので
ちょっと抜けて仕事に行ったそうです。

これが朝8時くらいの出来事です。
 
付き添っていた母は
急に静かになった父のことを
「さっきまでずっとしゃべってたから疲れたかな。ちょっと眠らせておいてあげよう」
と思ったそうです。
 
そしてしばらくしたら
医師・看護師さんがバタバタと病室に入ってきたそうです。
 
弟には、「もう心拍数も下がって血圧も計れない状態です。
そろそろです」と連絡が入り、
弟は慌てて引き返して、
わたしもラインで知らせてもらって
慌てて帰り支度を始めました。
 
どう考えても3時間は掛かるけど
がんばってほしいと思っていました。
 
しかし弟、付き添っていた母、夜勤明けのAちゃんに見守られながら
9時過ぎにそのまま息を引き取ったようです。
 
帰り支度をしていたオフィスでその連絡を受けて
涙が止まりませんでした。
ちょうどお客様と電話で話していたときだったので、
動揺した私にお客様もきっと驚いてしまったと思います。
お客様、その節はすみませんでした。

そしてすぐにこどもたちと一緒に駆けつけました。
既に家に到着していた父は穏やかな顔で眠っていました。
去年9月末にいきなり末期癌と宣告されて
抗がん剤の治療で苦しんで
やっと楽になったんだね、
やっと家に帰って来れたね、
と心の中で声を掛けました。

 

 
検死から帰ってくるまでの時間が長かったので
母が最後までお世話になった近所の方に
お礼を言いに行きました。
いつもいつも母のことを気にかけていてくれた人です。
 
ここ2,3日は特に調子が悪かったみたいです。
 
 
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大雨の中遺体が戻ってきました。

警察官の方が白い大きな袋から母を出して
布団に置いて
浴衣を着せてくれました。
 
警察官ってこういう仕事もするんだ、大変だなと
改めて思いました。
 
それと、警察官の方が言うには
「お盆前半は比較的検死の仕事が少なくて
お盆後半に増えるんです、なぜか」と。
 
たまたまなのかもしれませんが、
なにか論理的には説明できない世界があるのかもしれないです。
 
 
母の遺体と対面したとき
母の唇がうっ血していました。
食いしばった?
もしかしたら最後苦しかったのかな?

みんなで母に化粧をしました。
 
闘病生活で大量の薬を飲んでいたにも関わらず
ツヤツヤの肌だな、なんて思いながら化粧をしました。
 
 
 
父と母を立て続けに亡くした悲しみも大きいですが、
特に母はなんでこんなに?と思うほど病状が悪化していたので
やっとそれから解放されたんだね、という気持ちも強いです。
 
向こうの世界では車いすではなく
自由に楽しく歩いているでしょうか。
 
大量の薬も飲まずに
飲む時間も気にせずに父と語り合っているのでしょうか。
警察の方から死因について説明がありましたが
どこを調べても「これ」という原因は分からなかったようです。
原因がわからないことも多いんだそうです。
 
ただ、母は20年ほど
厚労省指定の進行性の不治の難病を患っていて
ずっと大変な闘病生活を送っていました。
最近は
車いす生活で
痛いところだらけで
飲む薬も大量で
でも薬を飲んでも体が言うことを聞いてくれる時間が徐々に減ってきて、、、
そんな状態はもし私だったら恐怖だったと思います。
それでも20年もがんばった母は本当に偉いと思います。
 
亡くなった父も母の介護を一生懸命していました。
父は癌を告知されたとき
母を残して自分が先に逝くことが一番心残りだったようです。
 
そして母も父の通夜の時「わたし一人残されちゃった」と泣いていました。
最近は「わたしもお父さんに連れて行ってほしかった」と言ってたようです。
 
だからお盆最終日の今日亡くなったのは
父が母を誘ったのかな、母も喜んでその誘いに乗ったのかな、と
想像ができます。

残された方は一か月以内に立て続けに見送らなければいけない悲しみがありますが
父と母にとっては良かったのかもしれません。
 
 
 
1年3か月前くらいの父と母。
母の病気を少しでも良くしようと
大きな手術をするため
遠くの病院に通っていた時の写真です。
父がしっかり付き添っています。
 
父の満面の笑み!贅肉もたくさんありました笑
 
母も嬉しそうです。
 
ここから1年半も経たずに二人とも旅立ってしまうとは
全く想像できませんでした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

父の死からまだ1か月も経っていませんし

父が亡くなった日の事も全部書き切れていないのに

今朝母が突然死しました。

 

昨日の夜いつものように弟家族と夕飯を食べ

今朝弟が起こしに行った時にはもう亡くなっていたそうです。

 

今朝7:20頃弟から電話が来ました。

「お姉ちゃん、お母さんが息してないんだよ」と。

何を言ってるのか全く理解できませんでした。

 

「ちょっと何言ってるの?変なこと言わないでよ」と

叫んだ記憶があります。

 

 

ちょうど出社前でしたが

慌てて帰省準備をし新幹線に飛び乗りました。

電車内では夏休みを満喫している笑顔いっぱいの家族連れが多い中

私一人だけ号泣していて

その姿は異様だったと思います。

 

わたしが向かっている途中、

救急車が来て救急車で運べない状態だと判断し

次は警察官が来て実況見分をしたそうです。

(自宅での突然死の場合、警察官の方が来ていろいろ事情を聞いたり調査をするそうです)

その後大きな病院に運ばれ検死をし

わたしが母の遺体と会えたのは14:40頃でした。

 

 

2018.7.7の病院での食事のときに

短冊が出てきたのでしょうかね?

 

しっかりした字で

 

「頑張って退院するぞ」

 

と書いてあります。

 

 

退院したかったよね。

 

その為にがんばっていたんだよね。

 

 

弟が納棺の時、これも棺に入れていました。

 

わたしが「取っておこうよ」と言ったけど

弟は「いや、入れるよ」

と言うので

慌てて写真を撮りました。

 

 

父の思いが伝わってきます。

弟と母が明け方5:30に病院に駆けつけました。
 
息が苦しく酸素ボンベを吸ってる状態だったそうです。
前日外泊していた時からまたさらに見た目的に弱った感じがして
弟はショックだったようです。
 
「モルヒネ打って息苦しいのを楽にしてほしい」
と弱音を吐きつつも
意識はハッキリしていました。

父「今週も忙しいの?」
弟「ずっと忙しいよ。お盆前まで仕事ビッチリだよ」
父「弱ったな~」
という会話もしていたそうです。
それを弟にラインで教えてもらって
クスっと笑ってしまいました。
 
家業を立ち上げた父は、
「忙しいならまだ死んでいる場合じゃないな」と
思ったのでしょう。
 
ずっと家業のことばかり考えていた父らしいです。
 
 
私の長男が週末の土曜日に大イベントを控えていて
「土曜日に向けてがんばっているから、お父さんもがんばって」
と弟を通じて伝えてもらったら
「それまでは無理だ」と冷静に返してきたそうです。

父は私にも会いたいと言ってたようです。
「一人娘に会いたいなあ~」と言ってたようです。
 
電話を替わってもらったら
父がか弱い声で
「今夜が峠だと思う」
と言うので
私は思わず
「そんなことないよ!大丈夫!大丈夫!」と
ものすごく大きな声で返していました。
父は
「そうかなあ」
みたいなことを返してきたと思います。
 
これが朝7時くらいの出来事です。
 
自分で「今夜が峠だ」と言ってるくらいだから
きっとまだ大丈夫だろうと思ってしまいました。
 
いろいろ済ませて夕方みんなで駆けつけようと思っていました。
土日で外泊して
その次の日のことです。
 
弟の奥さんAちゃんは日曜日の夜から夜勤でした。
月曜日の明け方4時に
父の病棟の看護師さんから
「血圧も下がってるし、
酸素も送ってるんだけど血痰の量も増えています。
明るくなったら家族を連れて来てください」
とAちゃんに連絡が入ったそうです。(←病院内の内線?)
 
その連絡は弟に伝えられました。
 
同時に個室に移されました。
亡くなったのが月曜日の朝。
その前の土曜日・日曜日で
父は外泊を許可されました。
これが結果的に最後の外泊となってしまいました。
 
ずっと家に帰りたいと言っていたので
主治医がタイミングを見計らっていたのだと思います。
とはいえ状態が非常に良くないので、
弟の奥さん(Aちゃん)が同じ病院に勤務する看護師じゃなかったら
外泊許可は下りないままだったと思います。
 
この土日は
Aちゃんの勤務シフトが無い土日でした。
それも考慮されたのでしょうかね・・・?

自宅に帰ってきて
既に届いていた介護用ベッドでひたすら寝ていたそうです。
 
腹水も漏れてくるので
Aちゃんがそれに対応したそうです。
 
状態はあまり良くなかったですが
うなぎを一口食べさせてもらったり
大好きなウィスキーを一口飲んだり(!)、、、
母・弟家族との団欒を楽しんだようです。
 
その翌日の月曜日の朝亡くなったのは
念願の外泊もできて
もう思い残すことは無いと思ったからなのかな
と勝手に想像しています。