これは父が亡くなった先月のことを書いた
その3です。
1か月も経たないうちに母の死もあったので
ブログも時間軸があっち行ったりこっち行ったり、、、、
分かりにくいとは思いますが
父の亡くなった日の記事を
ここで完結させようと思います。
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ただ、弟も仕事があるので
ちょっと抜けて仕事に行ったそうです。
これが朝8時くらいの出来事です。
急に静かになった父のことを
「さっきまでずっとしゃべってたから疲れたかな。ちょっと眠らせておいてあげよう」
と思ったそうです。
医師・看護師さんがバタバタと病室に入ってきたそうです。
そろそろです」と連絡が入り、
弟は慌てて引き返して、
わたしもラインで知らせてもらって
慌てて帰り支度を始めました。
がんばってほしいと思っていました。
9時過ぎにそのまま息を引き取ったようです。
涙が止まりませんでした。
ちょうどお客様と電話で話していたときだったので、
動揺した私にお客様もきっと驚いてしまったと思います。
お客様、その節はすみませんでした。
そしてすぐにこどもたちと一緒に駆けつけました。
既に家に到着していた父は穏やかな顔で眠っていました。
抗がん剤の治療で苦しんで
やっと楽になったんだね、
やっと家に帰って来れたね、
と心の中で声を掛けました。
母が最後までお世話になった近所の方に
お礼を言いに行きました。
いつもいつも母のことを気にかけていてくれた人です。
警察官の方が白い大きな袋から母を出して
布団に置いて
浴衣を着せてくれました。
改めて思いました。
「お盆前半は比較的検死の仕事が少なくて
お盆後半に増えるんです、なぜか」と。
なにか論理的には説明できない世界があるのかもしれないです。
母の唇がうっ血していました。
食いしばった?
もしかしたら最後苦しかったのかな?
みんなで母に化粧をしました。
ツヤツヤの肌だな、なんて思いながら化粧をしました。
特に母はなんでこんなに?と思うほど病状が悪化していたので
やっとそれから解放されたんだね、という気持ちも強いです。
どこを調べても「これ」という原因は分からなかったようです。
原因がわからないことも多いんだそうです。
厚労省指定の進行性の不治の難病を患っていて
ずっと大変な闘病生活を送っていました。
最近は
車いす生活で
痛いところだらけで
飲む薬も大量で
でも薬を飲んでも体が言うことを聞いてくれる時間が徐々に減ってきて、、、
そんな状態はもし私だったら恐怖だったと思います。
それでも20年もがんばった母は本当に偉いと思います。
父は癌を告知されたとき
母を残して自分が先に逝くことが一番心残りだったようです。
最近は「わたしもお父さんに連れて行ってほしかった」と言ってたようです。
父が母を誘ったのかな、母も喜んでその誘いに乗ったのかな、と
想像ができます。
残された方は一か月以内に立て続けに見送らなければいけない悲しみがありますが
父と母にとっては良かったのかもしれません。
父の死からまだ1か月も経っていませんし
父が亡くなった日の事も全部書き切れていないのに
今朝母が突然死しました。
昨日の夜いつものように弟家族と夕飯を食べ
今朝弟が起こしに行った時にはもう亡くなっていたそうです。
今朝7:20頃弟から電話が来ました。
「お姉ちゃん、お母さんが息してないんだよ」と。
何を言ってるのか全く理解できませんでした。
「ちょっと何言ってるの?変なこと言わないでよ」と
叫んだ記憶があります。
ちょうど出社前でしたが
慌てて帰省準備をし新幹線に飛び乗りました。
電車内では夏休みを満喫している笑顔いっぱいの家族連れが多い中
私一人だけ号泣していて
その姿は異様だったと思います。
わたしが向かっている途中、
救急車が来て救急車で運べない状態だと判断し
次は警察官が来て実況見分をしたそうです。
(自宅での突然死の場合、警察官の方が来ていろいろ事情を聞いたり調査をするそうです)
その後大きな病院に運ばれ検死をし
わたしが母の遺体と会えたのは14:40頃でした。
2018.7.7の病院での食事のときに
短冊が出てきたのでしょうかね?
しっかりした字で
「頑張って退院するぞ」
と書いてあります。
退院したかったよね。
その為にがんばっていたんだよね。
弟が納棺の時、これも棺に入れていました。
わたしが「取っておこうよ」と言ったけど
弟は「いや、入れるよ」
と言うので
慌てて写真を撮りました。
父の思いが伝わってきます。
前日外泊していた時からまたさらに見た目的に弱った感じがして
弟はショックだったようです。
と弱音を吐きつつも
意識はハッキリしていました。
父「今週も忙しいの?」
弟「ずっと忙しいよ。お盆前まで仕事ビッチリだよ」
父「弱ったな~」
それを弟にラインで教えてもらって
クスっと笑ってしまいました。
「忙しいならまだ死んでいる場合じゃないな」と
思ったのでしょう。
「土曜日に向けてがんばっているから、お父さんもがんばって」
と弟を通じて伝えてもらったら
「それまでは無理だ」と冷静に返してきたそうです。
父は私にも会いたいと言ってたようです。
父がか弱い声で
「今夜が峠だと思う」
と言うので
私は思わず
「そんなことないよ!大丈夫!大丈夫!」と
ものすごく大きな声で返していました。
「そうかなあ」
みたいなことを返してきたと思います。
きっとまだ大丈夫だろうと思ってしまいました。
月曜日の明け方4時に
父の病棟の看護師さんから
酸素も送ってるんだけど血痰の量も増えています。
明るくなったら家族を連れて来てください」
その前の土曜日・日曜日で
父は外泊を許可されました。
これが結果的に最後の外泊となってしまいました。
主治医がタイミングを見計らっていたのだと思います。
とはいえ状態が非常に良くないので、
弟の奥さん(Aちゃん)が同じ病院に勤務する看護師じゃなかったら
外泊許可は下りないままだったと思います。
Aちゃんの勤務シフトが無い土日でした。
それも考慮されたのでしょうかね・・・?
自宅に帰ってきて
既に届いていた介護用ベッドでひたすら寝ていたそうです。
Aちゃんがそれに対応したそうです。
うなぎを一口食べさせてもらったり
大好きなウィスキーを一口飲んだり(!)、、、
母・弟家族との団欒を楽しんだようです。
念願の外泊もできて
もう思い残すことは無いと思ったからなのかな
と勝手に想像しています。


