Katsuhiro IKEGAMI(池上 勝浩)のブログ YouTubeは LIBERA0301 <以前はlibera0301>です。是非注目して下さい。 -2ページ目

Katsuhiro IKEGAMI(池上 勝浩)のブログ YouTubeは LIBERA0301 <以前はlibera0301>です。是非注目して下さい。

1989年12月の仕事帰りに現世に於いて初めて不思議な白い光を一瞬、確かに目撃しました。
翌年にはテレパシーの受信をし始め、それから紆余曲折は、あったもののテレパシーによる意志の疎通は、
今も継続されています。
それらの相手は、プレアデス星人etc.なのです。

このブログ記事の私が愚かにも超能力で引き起こしてしまった、1989年11月13日に日本初の生体肝移植の手術を受けた杉本裕弥 ちゃんに関する不当な干渉及び、国際花と緑の博覧会 (花博)の1990年4月2日に発生したウォーターライド転落事故に関する一部の内容の信憑性を高める証拠と呼べるものに1990年の当時の読売新聞の記事があります。

 

一二三(ひふみ)神示の私が関わり結果的に失敗に終わらせてしまった「五回目の岩戸開き」とは、1990年◯月〜翌年◯月くらいまでの期間を指します。(月は、不明)24歳の当時(今現在58歳)、その時は、色々あり過ぎました。私が自ら生まれながらに獲得していた高いテレパシー能力や物質の想念による破壊能力などの超能力を自覚した時(1990年◯月に)でもあります。

 

1989年12月14日 仕事から帰る途中の午後6時32分 当時、住んでいた大阪府枚方市春日東町の近くの林池という池の近くで一瞬、東から西方向に私が立っていた場所から10メートルくらい?離れた空中に大きな花火の様な白い光が地面と平行に走りました。辺りは、薄暗く当時の私の視力で薄っすらと周りの様子が確認できる状態でした。しかし音は、全く聞こえませんでした。その光は、地面から10mくらい?の高さに見えました。その白い光の縦方向の幅は、3.5mでした。花火かとも思いましたがその場所で幅が3.5mにも及ぶ花火などをすることなど有り得ない場所であり音も全く無く且つ、近くにやぐらを組んでいてそこから放たれた花火ではとも考えましたが、その時に薄暗い時間帯でしたがその頃は、視力も良くちゃんと確認しましたがやぐらなどは、全くありませんでした。

私は、人生の中で7回UFOを目撃していますが、その時の体験が初めてのUFO目撃でした。私は、その目撃で「UFOやっ!」と心のなかで思いました。当時、UFOの目撃を熱望していた私ですが、目撃をした後は、意外とあっさりとしていて直ぐにその場を立ち去り近くにある自宅に帰りました。

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林池の画像

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白い花火の様な光(UFO)を目撃した場所

 

1990年◯月◯日(月日は、不明) なんとなくおかしいと思い始め周りに対して不穏な感覚を抱き始めていました。誰かが私の後をつけていると思い誰にとは、言わず漠然と不信感を抱き始めていました。

当時の私は、精神的に正常でないところがあり、それというのは、中学1年生の時から始めた空想が原因で気づけば、知らないうちに空想を始めていて、それを意識的に止めることが不可能な状態にまでに至っていました。また頻繁に空想の中の登場人物に対して非常に強い怒りの感情で強く攻撃的な口調で自分の考えを主張していました。空想を止めようとしても直ぐに無意識に空想し始め、いつしか私自身どうする事も出来ないと思いがあり当時、人生の半分を諦めてしまっていました。

 

同年◯月◯日(月日は、不明)何がきっかけかは今は、思い出せませんが私は、誰かに心の中を読まれていると自覚しました。私は、テレパシー能力を獲得していると気づいたのがその時だったのか、それともその後、暫くしてからだったのかは、もう30年以上も前の話なので憶えていません。

自宅にいる時に急に周りから発せられる音に違和感を感じ敏感になり始めたことは、憶えています。

 

1990年6月◯日(日付は、不明)当時24歳の時に自宅の自室にいた時に頭の中で、女性の穏やかでとても落ち着いていた且つ平和的な声で→「何もしていない」と聞こえました。宇宙人からの初めてのテレパシー受信でした。その日は、その女性の声でテレパシー送信した方は、その一言だけで私にメッセージを送り続けることは、ありませんでしたが、その初めての体験は、私の空想癖で病的な症状が先に述べたようにあった事もあり、いよいよ頭がおかしくなったと思いました。

 

それ以降、周りから発せられる音が更に気になり始め激しくなっていったと記憶は、曖昧ですが残っています。例えば、中型の(おそらく)バイクの改造マフラーの吹かしの攻撃的にすら受け取れる音などです。また自宅の周りの住宅からは、何かを叩く音が気になり始めていました。

 

記憶が曖昧で時系列に出来事が並べられませんが、且つ話が前後しているかもしれませんが、初めて心の中の想念・思考が周りの発する音によりその方向にまたその地点にいる方々に読まれているとはっきりと認識出来た時は、即座に?殺意が目覚め「殺してやる!」と思い改造マフラーのおそらく中型バイクを吹かし音を立てている方々に対してキャンプ用に持っていたであろう果物ナイフを持ち出し、その相手を本気で刺そうとして家を出ました。しかし、その途端に?改造マフラーのバイクの吹かしの音が鳴らされず場所が特定出来ませんでした。外に飛び出して暫くしてから宇宙人(宇宙太子ことエンバー氏)からのテレパシーを受信して家から歩いて行ける→「交野山(こうのさん)に登るように」と言われたので結局、登ることになりました。数時間後には、交野山の山頂に登ってから暫くしてから自宅に戻った記憶があります。(私は、高いテレパシー能力を獲得しています。またテレパシーは、送信時に指向性があり意識した方向に送信できる為、テレパシーの受信をし、探りを入れていた方々は、私に意識され意識を自分達に向けさせる為に音を発していたのです。)

 

【再度、この書き留めている出来事は、時系列に並んでいない可能性があります。注意して下さい。既に30年以上も前の事なので記憶が曖昧です。】

 

そして私の精神は、絶望とともに精神的に追い詰められていき壊れていきました。もう既にその時には、精神的に自宅にいる時も平穏では、無く極度の緊張と極度の混乱が生じていました。

その壊れた精神で、アニメや映画の影響でしょう、いつしか自分には、物質を破壊できる超能力が備わっていると感じ始め物質の破壊想念を意識的に発生させていきました。ターゲットを決めて破壊しようとしたのです。

今から思えば、極めて暴力的であり国家安全保障上のみならず惑星安全保障上の問題を引き起こしていたと自覚しています。

しかしその頃の私は、怒りに満ちており私のテレパシーを強制的に無断で受信する為に且つ探る為に改造マフラーのバイクの吹かしの音などの音を発することが倫理的にも日本の国内法的にも違反していると判断出来、許せなかったのです。且つ精神的にも極めて耐え難いものでした。

 

それ以降、ある時点から宇宙人の方々からの継続的なテレパシーの送信が開始され始めています。お互いのテレパシー能力で、その時々に於いて宇宙人の方々がタイミングを選んでテレパシー送信してきた時に対話が成立するといった感じでした。当初は、宇宙人の方々は、私に対し充分な配慮がなされており、今現在のような対話と言うより私の精神的に耐えられる・精神的に受け止められる範囲でのコミュニケーションの仕方を選択していました。

彼らは、私のその破壊的な超能力の使用に対して辞めるように幾度も幾度も幾度も私に伝えてきていました。私の心は、コントロールを見失いその超能力を利用した破壊行動を、意識的にやり続けました。また、まだその頃の私は、宇宙人の方々に対して少なくない場面で横暴であり一方的に敵視していた場面も多く見受けられました。

当然、私が超能力による破壊行動を継続的に試みていた事は、当時の日米の両政権であったブッシュ政権や海部政権の方々は、(実際には、一部の政治家の方々や一部の日米の両軍の軍人や自衛隊員の方々のみと思われます。)把握されておられました。

 

 

 

その、今から思えばあまりにも無謀で極めて愚かで破滅的且つ自滅的な行為により、改造マフラーのバイクの吹かしの音や周りの住宅で鳴らされる音は、極めて激しくなり頻度も多くなりました。破壊的想念を、ターゲットを決めて発したタイミングで音が鳴らされていたこともはっきりと憶えています。

私が当時、やっていたことは、本来は、殺人未遂行為であり、また明確過ぎるテロ未遂行為でありました。今から思えば、私の精神面での未熟さも確かにありましたし、言い訳のようになってしまい誠に申し訳ないのですが私の未熟さ故に日米両政権の当初の行為は、私が対処出来得る範囲を遥かに超えていました。当然、謝って済むものでは、ないと重々痛感しておりますが当時の日米政府の関係者の方々や宇宙人の方々や被害者の方々に深くお詫び申し上げます。もう二度と同じ過ちを繰り返さない為にも適切な量の精神薬を飲み、アンガーコントロールに努めて参ります。どうぞお許し下さい。

 

私のそれらの破壊行動に対して宇宙人の方々は、その有り様・様子を観察し私に対して警告をしていましたし、また私の精神を安定化させる為に、幾度も幾度も幾度も自分たちのテレパシーなどを使用し心の沈静化を試みてきていました。確かに私の精神は、幾度も幾度も幾度も安定しましたが私は、それでも私は、その当時の日米政府が改造マフラーのバイクの音などを発するといったことなどを指示をしていた事に対して認めることが出来ずに且つ人として当たり前のことを考えもせず、極めて愚かにも破壊的想念を発し続けました。今から思えば、この事実は、明らかに私による私だけの極めて大きな犯罪行為であります。精神を宇宙人により幾度も幾度も幾度も安定化させて頂いていたのですから明確に私に責任は、ありますしまた本来ならば、罪を償う必要があったことは、今から思えば、明確です。そもそもの事象が始まった1990年のある時点から、ある一定期間を過ぎてからは、明確に全て私の責任です。再度、当時の日米政府及び政府機関の方々に対して極めて申し訳なかったと痛切に感じています。誠に申し訳ありませんでした。

心よりお詫び致します。

 

また1989年11月13日に日本初の生体肝移植の手術を受けた(手術時、1歳)だった杉本裕弥ちゃんに対して超能力について無知であり不馴れで経験も全く無いにも関わらず且つ医学・医療についても無知の私が、助けてあげたいという気持ちからでは、ありましたが無謀すぎる行為、つまり超能力で救えるのでは、という間違った安直な考えから超能力を作用させてしまいました。これも1990年◯月(記憶が曖昧過ぎて日付は、特定できません)の事です。杉本裕弥ちゃんを救いたい一心だったのですが極めて愚かすぎました。読売新聞の記事に、とあるドクターの方のコメントが載っていました。「おかしいんです。(ある薬)が全く効かないんです!」というようなものでした。その記事を読んだ記憶は、確かにありますが、その記事によりどのように感じたかは、不明で覚えていません。それでも杉本裕弥ちゃんに対して超能力を使い治してあげたいと作用させる為に数日の間、試みていたことは、覚えています。しかし数日経ってからその行為は、辞めたことを覚えています。結果的に杉本裕弥ちゃんは、1990年8月24日に亡くなっています。結果的に死因は、私が超能力を作用させた事では、無いと宇宙人の方々から教えて頂きましたが、結果的に一時的にでも薬の作用を抑え込んでしまった事は、確かで極めて申し訳なく思っています。この件もまた誠に申し訳ありませんでした。心より杉本裕弥ちゃん並びにご家族の方々にまずは、大変御無礼ながら、このブログ記事により真相の表明をさせて頂き謝らせて頂きます。極めて当時の私は、安直であり超能力・医学に無知過ぎるにも関わらず自分自身の力におごり過ぎていました。

杉本裕弥ちゃんの御冥福を心よりお祈り致します。

 

また、かなり私が明確に意図的に発した超能力により作用したものとして判断出来るものが、1990年4月1日〜1990年9月30日開催の「国際花と緑の博覧会(花博)」の1990年4月2日の花博 ウォーターライド転落事故です。不幸中の幸いと言えば、しっかりと罪に向き合っているとは、言えないと思いますが、その事故ににより亡くなった方は、出ていないようですが、しかし、怪我をされた方々が24名も出ています。その事故による怪我により今現在も後遺症などにより苦しんでおられる方々がいらっしゃるかもしれません。また身体や心に傷を負った方々もいらっしゃるかもしれません。

誠に無礼ながら、まずは、このプログ記事による真相を表明させて頂き、更に謝罪を心よりさせて頂きます。誠にすいませんでした。

当時の読売新聞には、メンテナンス業者の方のコメントで詳細は、憶えていませんが要約は、「何故か!おかしいんです!」と記者の方に話されており記事になっていました。当時の記憶として確かなのは、明らかに花博の乗り物に対して破壊的な想念を働きかけています。ただ私のその時の精神状態は、極めて厳しい事象が多数起き、記憶が不鮮明で時系列に並べる事が不可能な為に不明です。

 

 

このブログ記事は、宇宙人の方々に全容では、ありませんが部分的にでは、ありますが補完して頂いて書いております。

当時、宇宙人の方々は、私に対して精神科の受診を働きかけていましたが、情けない事に私には、打開性もなく行動力もなく且つ勇気すらありませんでした。またそれを受けて宇宙人の方々は、(特に宇宙太子ことエンバー氏)→「それなら安定剤を用意してもらうように」と私に働きかけてきました。私は、自宅にいる時にそれらの私に向けた音の方向にテレパシーでお願いしました。そのせいか実際に私の知人が精神薬を用意してくれていました。その薬を飲みましたが薬の効果の為に初日に20時間寝てしまい、翌日は、16時間寝ています。その事を薬を用意してくれた知人に話すと、「そんなきつい薬じゃないねん!」と言うようなことを語っていました。私は、その知人に対して過去の事でも、その薬の処方に対する説明でも不信感も抱いており、すぐに薬を飲むのを辞めてしまいました。

今から思えば、薬を変えてもらうように頼んでみたり、自分で飲む量をコントロールすればよかったと思います。もしかしたら入院が必要だったかもしれません。

 

私は、1990年◯月頃から(月は、特定できずにいます)色んな出来事に精神的にダメージを受け統合失調症を患い始めました。幻聴・幻覚症状が当時から出始めています。宇宙人の方々から送信されてくるテレパシーと統合失調症による幻聴は、宇宙人の方々が工夫をされておられていましたので私は、区別をつけられることが可能な状態でした。

しかしながら再度、1990年のある一定期間を過ぎてからの私の極めて極めて愚かな超能力の悪用は、宇宙人の方々から明確に幾度も幾度も幾度も警告受けていましたし、精神的にも幾度も幾度も幾度も安定化されていた為に明確過ぎるくらいに私自身の責任です。

 

私の大阪府交野市私部(きさべ)支部その知人は、創価学会員で私も日蓮正宗に入決・入信するように進められていました。

1990年◯月の時点では、その知人だけでは、無くある特定の学会員の方々は、私が高いテレパシー能力を獲得していることを私と合う前から知っていました。それについては、日米政府の意向が働いていたのは、明確すぎるくらいに明確です。

その知人と1990年◯月に久しぶりに再会してから日蓮正宗に入決を勧められいた時期、そんなに日が経たない時点で、その知人とその知人の自宅の一室で2人で話している時にその知人は、話の流れで

 

「これは、ほんまは、言うたらあかんねんけどなぁ。自分は、(頭が)錯乱してんねん!」

 

と私に言っています。何故?錯乱していることを秘密にして私に伝えることを当時の日米の両政権は、指示していたのか未だに理解できません。また何故かその時もそれ以前も精神薬を飲むべきだとも精神病院に通院すべきだとも注意・提案してくれませんでした。 

宇宙人の方々の助言・提案により私が自宅の周りの方々に対してテレパシーでお願いして始めて薬が用意されました。

今から思えば、宇宙人の方々に助言・提案された、私に精神病院に通うようにと言われた時に自分自身で勇気を出して行けば良かったと思いますが当時は、あまりにも勇気がありませんでした。当時の置かれていた私の異様で異常な環境の事を考えると私にも明確な責任があったものの、改造マフラーのバイクの吹かしの爆音や近所の家から鳴らされる大きな音ではなく根本的な且つ本質的な解決方法は、私の少なくともその頃からの症状に合った精神薬の服用だったのですから... .。

 

また極めて精神が混乱している私に対してその交野市私部支部の知人や他の特定の学会員の方々は、拒否する私を尻目に自分達にそのテレパシーの受信を目的とした行為、即ち咳払いなどを意図的にしてその指向性のあるテレパシーの性質を利用しテレパシーの受信をしていました。混乱した頭では、非常に困難さは、ありましたが思考を一時停止したり、その学会員の方々に意識を向けないように試みると無理矢理、当時の私にとっては、強制的に私の混乱した精神に意図的な不必要な咳払いなどによる圧力をかけて自分達の目的であるテレパシーの受信を成功させていました。私は、思考が即テレパシー送信に当時なっていました。無理に止めると意図しない言葉が自動的にテレパシーで送信してしまう病気でした。今現在でもその意図しない言葉がテレパシーで発せられる病気は、完治していません。その病気を分かりやすく表現するなら「運動チック症」または「音声チック症」ではなくテレパシー能力があるが故に「思考チック症」とも言えば理解して頂けるかもしれません。

因みに日米政府の方々の意向・指示により、それらの学会員の方々は、私がテレパスであることに関することを私がいる時の会話では、一切口に出しませんでした。その事が何んの目的がったのかは、未だに不明です。創価学会の私部支部のある特定の方々は、民間人であり彼らには、意向や指示をする為に間接的にも関わっているにも関わらず、私には、直接的にその時の日米両政権は、改造マフラーの音などを発し圧力は、与えつつも接触は、ありませんでした。間接的にも政権の意向の伝達も全くありませんでした。日米両政権は、当然ですが当時から宇宙人とコンタクトしていた事を把握しています。

 

ただ私は、日蓮正宗に入決をして入信をして直ぐにその宗教を辞めましたが、辞める瀬戸際になってからようやく初めて、ある交野市にある私部(きさべ)支部の学会員の方の一人から「池上君の頭から発する声が聞こえる!」と言われましたが私は、日蓮正宗の教えの中の何点かに大きな矛盾も感じていて、且つ不当に学会員の方々に扱われた事も考えた上で辞める決意をしていましたので考えは、一切変わりませんでした。因みにテレパシーは、誰にでも受信可能であり受信者は、頭の中で(脳)音声などが聞こえます。

 

【注意事項】これは、このプログ記事を書く上で宇宙人の方々に部分的に補完して頂いていますが、あくまで私の主観も多くの場面で入り込んでいる余地があり且つ統合失調症を患い(最初は、軽度のものから始まりましたが)意図しない卑猥な言葉や暴力的な言葉をテレパシーで発してしまう病気である私個人の視点で捉えたものでその頃の状況を客観視出来ていない可能性もあります。私個人の捉え方以外の彼らの視点や認識での捉え方にも注視すべきでしょう。また国家安全保障上の問題と直面していた当時のブッシュ政権や海部政権の視点や認識や超能力の乱用・悪用による重大な私の過失が引き起こし続けていた重大局面に対し、即座に対応しなければならなかった点からも当時の記録等や関係者などの証言にも注視すべきだと思います。また、当時の日米の両政府は、私が獲得しているテレパシー能力は、実は、過去・未来にも送信可能である事にも対峙しなければならなかった事も付け加えておきます。

 

最後に私が明確な意識に於いて生じさせた破壊的な強い想念は、当時からテレパシーで対話していた宇宙人の方々と私とを比べ相対的に見れば、宇宙人の方々の超能力は、極めて能力が高く且つ極めて強いものでした。

それらの極めて強い超能力や宇宙人の方々のテクノロジーによって上記に書いた事故など以外は、まず例外なく阻止されています。また毎日、連続的に破壊的な強い想念を発生させ続けていた為に無意識の状態でも、その力の作用が生じ得ましたが、それらも宇宙人の方々の努力や対応により、私自身は、非常に強いまた多くの制約を受けることとなりましたが、それらの結果、極めて多くの場合阻止されています。

 

尚、今現在日米政権との関係性は、宇宙人の方々の努力や私に対し働きかけなどをするように指示され、実際に行動に移したことなどにより再構築が成されております。相対的に良き方向に向かっていると認識出来得ます。

 

まず宇宙太子ことエンバー氏並びにアスク氏、その当時に対応して頂いた方々に対して、またそれ以外のプレアデス星人、ベガ星人、リラ星人の方々に再度、心よりお詫び申し上げます。また阻止して頂けた事に対して、まず被害を阻止され被害者をそれ以上生じさせなかったことに対して今現在は、心より深く感謝しております。

 

以上

by.池上 勝浩&アスク&エンバー&アストロフ

 

以下補筆

名前を表明されなかった宇宙人の方々も多数、補完に協力頂いております。

補完にご協力頂きまして誠にありがとうございました。心より感謝致します。