1月3日(土曜日雪晴れ


何冊かまとめて買っていた朱印帳・・・新婚旅行に何気なく持って行った。
番外3

こんな立派な朱印帳、もう売ってないから考えて使ったらよかったあせる

大阪の画材屋で買ったんよグッド!




武田八幡神社
番外2

たまたま総代という方(秋山氏)に声をかけ、無住の社務所を開けてもらい、朱印を自ら押させてもらい、お札とお守りを戴いた。

祭神は武田武大神・誉田別命・足仲津彦命・息長足姫命。

社伝によれば822年勅命により豊前宇佐宮(一説に山城石清水八幡宮ともいう)の分霊を当地に勧請し、地名を冠して武田八幡宮と称したのが草創という。

一方、『甲斐国志』は822年弘法大師が関左遊化の折、夢に八幡大菩薩が武田郷の山下に姿を現したのをみて、神祠を構えたのが草創と記すが、詳細は不明。なお同署では日本武尊の子武田王が桜ノ御所と呼称されるところに御殿を構えたことが武田の地名の由来といい、その墓所が鰐塚と伝える。また武田大神は武田王が当社北東に鎮座していた祠廟を館内に移し、これを祀ったことに始まるという。その後武田信義が、当社を氏神として尊崇し、また歴代甲斐国司の尊崇した。1541年武田晴信(信玄)は大檀主として嫡子義信と共に再建し、その本殿は重要文化財となっている。武田氏滅亡後、徳川家康・平岩親吉・柳沢吉保等が造営、修復している。将軍や国主の代替わり毎に巡見役や役人が社頭に参詣し、拝礼を行ったといい、当社の社格の高さを物語っている。

四郎勝頼の京都祇園日記-武田八幡神社    四郎勝頼の京都祇園日記-武田八幡神社5

武田八幡神社



四郎勝頼の京都祇園日記-王仁塚6

鰐塚の一本桜




穂高神社
番外

祭神は穂高見命・瓊々杵尊・綿津見命(海神わたつみ、安曇氏の祖神)。延喜式式内社。安曇氏の奉斎した神社。

創建は不詳。安曇氏によって祖神が祀られたのが創祀とされる。安曇氏は海人の一族で、筑前国の志賀海神社が発祥地とされる。

大檀那は文明期から天文年代にかけては大伴氏がなっており、天文末年から天正期にかけては仁科氏があたり、仁科氏滅亡後は歴代の松本城主があたった。

結婚したの、昭和59年って判る汗




武田神社
番外4

躑躅ヶ崎館の跡地(武田氏館跡)に建てられており、武田信玄を祭神とする。

大正4(1915)年、大正天皇の即位記念に武田信玄に従三位が追贈されたのを契機に、「武田神社奉建会」が設立され、大正8(1919)年には社殿が竣工し、信玄の命日にあたる4月12日には初の例祭が行われた。神宝の一文字の太刀は三条実美が寄進したもので、重要文化財。


四郎勝頼の京都祇園日記-武田神社13   四郎勝頼の京都祇園日記-武田神社18

武田神社




生脚大明神

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モデルの生脚大明神


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祇園の生脚大明神


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木屋町の生脚大明神


四郎勝頼の京都祇園日記-東福寺2

博多の生脚大明神



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六本木の生脚大明神


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