6月7日(土曜日)
上賀茂神社から正伝寺へ
小堀遠州作庭〝獅子の児渡し庭園〟
白砂敷平庭で皐月の苅込によって七五三調を表現した枯山水で、比叡山を取り入れた借景式の庭園。
さすが禅苑、心が安らぐ・・・お客さんが来るまで(゜ρ゜)ポーと・・・
30分経っても、誰も来ないやん
庭園から見た方がカッコエエなぁ・・・
椿も綺麗
臨済宗南禅寺派、吉祥山と号し、本尊釈迦如来。
聖護院執事の静成法印が、東巌恵安に帰依し、1268年一条今出川に仏殿を構え、恵安を開山とした。のち恵安・静成等の声誉を妬んだ聖護院執事の寛朝僧正は、叡山衆徒と語らい、正法寺を破却した。
五色木瓜も見頃・・・住職が説明してくれた
1282年賀茂の社家森経久が現在地に移して、堂宇を建立した。その後足利義満の祈願所となり、1477年5月には、将軍義尚も賀茂競馬を見物した折、当寺地で酒宴を催している。1615年徳川家康の朱印をうけて再建された。
重文の方丈は伏見城の遺構と伝える。広縁の天井は伏見落城の際に鳥居元忠以下1200余名が割腹した時の血痕が残る廊下の板とされ、血天井とよばれる。
最近、血液学の権威として知られる古畑種基博士の研究によって、368年以前の人間の血液であると、科学的証明をされた。
狩野山楽筆の襖絵は重文。
(撮影日:4月8日)
******************************
ランキングに参加しております
1日1回のクリックで
応援よろしくお願いいたします