4月15日(火曜日)
深泉寺から宇佐神宮へその間、寄り道したけどね・・・
宇佐神宮では3度目のお守りを買いに
過去二つは守ってくれたのか、中のお札が割れたんだよね
式内社で豊前国一宮。全国に約44000社ある八幡宮の総本社である。石清水八幡宮・筥崎宮(または鶴岡八幡宮)とともに日本三大八幡宮の一つ。
参拝は一般と異なり、二拝四拍手一拝を作法としている。
宇佐神宮の神は当初宇佐地方の地域神であったとみられるが、養老年中(717-724)朝廷による隼人討伐に神威を示して中央に知られるようになり、731年には八幡神として官幣にあずかっている。8世紀半ばには奈良東大寺の大仏建立、道鏡の皇位継承事件などに託宣を下して国政に関与し、朝廷との関係を深めた。11世紀半ばには武家の棟梁である源氏の氏神となって武神としての色彩を強め、以後武士たちによって全国各地に勧請された。
平清盛と結んだ大宮司宇佐公通は大宰権少弐・豊前守などに任ぜられるなど、繁栄期を迎える。しかし、これに反発した豊後武士緒方惟栄等は1184年当宮に乱入、社殿を破却した。
15世紀前半には豊前守護となった大内盛見の厚い保護を受けたが、16世紀豊前に進出した大友氏によって焼かれている。豊臣秀吉の九州平定により神領は没収されたが、のち黒田氏・細川氏などから社領を寄せられ、1646年徳川家光から朱印地千石を与えられ、近世の神領が確定する。
(これ、おみくじを結んでいる)
現在、当神宮の祭神は誉田別尊・比売大神・息長帯比売命の三神であるが、元来は八幡神(八幡大神)を奉斎していた。八幡神の由来については不明な点が多く、神性も複雑で多岐にわたる。これは当宮の草創にかかわった宇佐・大神・辛島(漆島)の各氏族がそれぞれに奉じていた氏神や信仰が融合し、八幡神という一つの神格が形作られたためとみられている。
宇佐氏は宇佐国造に任じられた菟狭津彦を祖とし、比売神を氏神として発祀した宇佐地方の豪族とされる。
大神氏は大和三輪系とも九州土着ともいわれる。官社としての八幡宮を創祀したとされる大神比義を祖とし、草創期には宮上層部にいて実権を完全に掌握していた。
辛島氏は渡来系氏族と考えられ、宇佐地方に先進技術を持ち込んだ一族とみられる。草創期には多くの禰宜(女性禰宜)を輩出した。
二拝四拍手一拝〝綺麗で可愛くて、生脚が素晴らしい子と付き合えますように〟パンパンパンパン(注:4月4日に叶いました宇佐神宮スゲェ~)
アッ早速ご利益・・・(*^.^*)ウフフ
(撮影日:3月26日)
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