4月18日(金曜日)
前日の熊本・・・(〃∇〃)デヘヘすぎて・・・・
27時半就寝、6時半起床して朝食を食べに
何故旅先だと、飲みに出ても早起き出来るんだろう
朝一で熊本城へ
加藤神社に車を置いて、いざ攻略へ・・・
加藤神社・・・熊本城本丸の北西にあり、祭神は加藤清正。
加藤神社からの眺め・・・完全に逆光
熊本市の中央茶臼山の丘陵地帯に、加藤清正によって築城された近世の平城。
熊本城着工の時期について、通説では清正が肥後一国の国主となった後の1601年、完成は1607年と言われるが、下記のような諸説がある。
①1589年から文禄年間(1592-1596)着工
②慶長初年着工、1602年完成
③1598年着工、1607年完成
④1599年着工、1607年完成
⑤3と4整合説、1598年末ー1599年着工、1601年本格的工事
⑥1601年着工、1607年完成
⑦1601年着工、1603年完成
⑧肥後半国領主期着工、半国期完成
⑨肥後半国領主期着工、一国領主期完成
⑩大天守閣は半国領主期、小天守閣は一国領主期完成
(桜と宇土櫓)
着工と完成の正確な年代は断じがたいが、着工については①にみられるごとく、朝鮮出兵中の1594年と思われる3月12日付の加藤清正書状に、新城の築城指示と思われる内容が含まれる等々、1589年から文禄年間にはすでに着手されていたと推測される。
(宇土櫓)
築城当時の主要建築物は天守2、櫓49、櫓門18、城門29を数え、宇土櫓は1600年関ヶ原合戦で滅んだ小西行長の居城宇土城の天守閣を移築したものと伝えられているが、確証はない。
宇土櫓とという名称は、江戸時代中頃以降に用いられ、それ以前は「御天守西ノ御丸」「五階矢蔵」などの名称でよばれていた。
(大天守閣と小天守閣と桜)
大天守閣は軍事用倉庫、小天守閣は住居用として使用されたといわれる。
両者は共に数個の曲線的大破風を有し、大天守閣の千鳥破風、入母屋造りに特色がある。屋根はいずれも内部に向かって反っている。
城内に120ヶ所の深井戸が掘られ、多数の銀杏を植え実を保存食料とし、天守閣の畳の芯には干瓢・芋茎を入れ、籠城の際に備えたという。
加藤家は2代忠広の時改易され、1632年細川忠利が入城する。
細川氏12代の間、若干の改築・修造はなされたが、大きな変革はされず明治維新まで残った。
天守閣からの眺め
熊本城と桜、似合うなぁ~
本丸御殿大広間にて休憩(*´Д`)=з
石垣は礎石が大きく堅固で、上の方が反り返り、全体として弓形に積んであるため「武者返し」(注:お菓子の名前ではない)と呼ばれ、「清正公石垣」として知られる。
日本三名城の一つ、国指定特別史跡。建造物は13棟で国指定重要文化財。
加藤清正像と千原桜
長塀を見ながら長塀通りを
この通りの桜も素晴らしい
熊本市役所展望ロビーからの眺め
ここからの熊本城もイイ
観光客誰も居なくてイイ
4時間滞在したけど、足りないなぁ・・・
次回は1日かけて撮りたいな
2日前は義妹から、桜はまだ早いと言われていたが、この日調度満開になったそうです・・・勝頼、桜の王子様と改称しよかな・・・
って、何歳で王子様なんやΣ\( ̄ー ̄;)ナンデヤネン
京都では決して見られない桜風景・・・リフレッシュ出来た
(撮影日:3月27日)
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