4月19日(土曜日晴れ


本格的に京都の桜ブログ書く前に、山吹や躑躅、牡丹が咲きだした叫び

庭で1番最初に咲く躑躅が満開になっている叫び

まぁ急いでも仕方ないので、6月まで書いてやるσ(^_^;)ポリポリ



熊本城ウロウロのついでに、隈本城址と千葉城址を探索走る人

千葉城址

熊本城の起こりは、応仁・文明期(1467-87)の頃、出田秀信が近世熊本城の東部に築城した千葉城に始る。『国誌』によれば、応仁・文明期(1467-87)の頃、菊池氏の一族であった「出田筑前守秀信所領八十町ヲ領シ、初メテ隈本在城ト云、今ノ千葉城ナリ」とある。秀信は藤崎惣政所として藤崎宮造営に奔走したりしている。出田系図では、文明17年益城郡御船で戦死と記されている。その後、大永ー亨禄年間(1521-32)鹿子木親員(寂心)が出田氏に代わって入城したが、規模が小さいため、茶臼山の西南麓に新たな隈本城を築いたという。

隈本古城3

(城址公園はてなマークの説明板)

天文年間(1532-55)中頃、豊後の大友宗麟により落城、代わって城親房が入城、孫の親政の時豊臣秀吉の軍に降った。
隈本古城4

(第一高校正門前の石垣⇒これは熊本城のね)

秀吉は初め佐々成政に肥後一国を与え、成政はこの城に入城したが、1588年成政は国人一揆の責任を問われて失脚、その後は隈本城番として浅野長政、さらに加藤清正が入城する。
隈本古城2   隈本古城
(第一高校校内の説明板。熊本あるある=女性は第一高校卒業と言えば、見合いは100%成功)

清正は文禄・慶長の役の際も、隈本城を根拠地としており、1607年前後まで在城する。



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