1月29日(水曜日晴れ


1月14日、今年初めての桜巡りに行って来た車

桜巡りと言っても、2ヶ所だけだけど・・・

まずは平野神社へ車

平野神社8

式内社で、二十二社に列す。祭神は今木・久度・古開三神及び相殿比売神四座。平安遷都の行われた794年の創建。『貞観式』に「平野・久度・古開三神」とあるように、当初は三座を祀り、平野神は今木神と称される主神で、また平野神とは総称でもあった。
平野神社5
(満開の寒桜)

今木は今来(新来)の意で、百済系の人々が多数居住して今来郡とも称された大和国高市郡に、今木神は祀られていた。奈良時代の末、田村(平城京)後宮に祀られているが、桓武天皇の生母高野新笠の祖神が祀られたものであろう。

平野神社6

(盛りの過ぎた寒桜が多かった)

平安遷都に伴い平野の地に勧請奉祭されたと思われるが、遷都以前、平野の地に渡来人が居住していたこととも、無関係ではないだろう。
平野神社2
(橘の実がいっぱいなってた)

平安末期、藤原清輔の歌学書『袋草紙』に平野の歌として載せる「白壁のみこのみおやのおほちこそ平野の神のひひこなりけれ」は、白壁王(光仁天皇)の皇子山部王(桓武天皇)の御母(高野新笠)の祖父(倭史某)が平野の神(百済聖明王)の曾孫であるとの意で、高野新笠の父方(倭氏)の祖神を祀ったことを意味する。
平野神社
今木神が外祖父系の祖神を祀ったのに対して、859年に合祀されたと推定される相殿の比咩神は、高野新笠の母方(大枝氏=土師氏)である外祖母系の祖神を祀ったものであろう。

平野神社4
久度・古開の二神については明らかではないが、久度神は『延喜式』大膳上に「竃神四座」、同式大蔵省に「祭忌火、庭火、御竃神、平野御竃神料雑物」などとある竃神にことか。また、久度・古開とも渡来系の神との説もある。
平野神社7
(水仙も咲いていた)

現存の本殿二棟は、荒廃していた社屋を寛永年間(1624-44)西洞院時慶が建造したもので、比翼春日造りといわれ、重要文化財である。

(撮影日:1月14日)



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