1月7日(火曜日)
占いババに、気が付いたら上に立ってる人・・・
人を引き付ける魅力が有る人・・・
今年21・30・39・・・歳になる人と相性抜群・・・
そら21歳やろ
の相性も21歳の子か
な
な
な
落ち付けぇ~と嫁にしばかれた(w_-;
んあんたもてるねぇ~女3人居てるやろ
って、また言われた
空気読めぇ~嫁が横に居てるやろ
と・・・新年早々占われた勝頼です
あっ今年ムチャクチャ運勢が良いそうです(´0ノ`*)オホホホ
山城国一ノ宮上賀茂神社か、近江国一ノ宮建部大社か、行くのを迷ったけど、建部さんに行く事に
『延喜式』神名帳に「建部神社」とみえ、名神大社に列する。主祭神は日本武尊、相殿に天明玉命、権殿に大己貴命を祀る。
(三本杉と拝殿・三本杉は大己貴命が権殿に祀られた際に一夜にして成長したと伝わる神木で、当社の神紋にもなっている。)
創建年代は未詳だが、1510年成立という建部大明神神縁年録写によれば、この神は神崎郡千草岳に降臨、景行天皇46(116)年に同郡建部郷に宮殿を創建した。
675年建部連安麻呂らとともに湖を下り栗太郡勢多郷に到着、大野山に遷座、さらに755年同山麓の現在地に移建したという。この移建を進めた建部公伊賀麻呂は『続日本紀』766年7月26日条に近江国志賀団の大毅とみえる人物だが、日本武尊を祭神とすること、創建の地を建部郷とすることなどと併せ、大和政権が設定した軍事集団建部の居住地にその氏神のような存在として創建されたと思われる。そうした性格から政治・軍事の中枢である瀬田川東岸に移されたのであろう。
21歳の生美脚の美人さんと、チョメチョメ出来ますようにパン
パン
キタ━━━(゚∀゚)━━━!!! 太ももムチムチの美人さん
1183年7月には木曾義仲が入京の際、その将太田倉光が当社に陣を構え平知盛と戦い、1190年11月頼朝は上洛の途次に瀬田郷を寄進したと伝える。
![建部大社17](https://stat.ameba.jp/user_images/20140106/20/katsuyori/64/28/j/t02200132_0400024012805966430.jpg?caw=800)
承久の乱では北条泰時の軍勢が社地に入って火を放ち、1350年12月の足利直義と守護六角氏の戦いでも兵火を受け、社殿以下ことごとく灰燼となり、応仁・文明の乱では山名氏の軍に一切を焼払われたという。
![建部大社6](https://stat.ameba.jp/user_images/20140106/20/katsuyori/0b/71/j/t02200132_0398023812805962827.jpg?caw=800)
現在の本殿・拝殿は1724年再建のもの。1869年膳所城城門の一つを移して神門とするが、1934年の台風で倒壊、現神門はその後の再建。
ふるまい酒
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境内稲荷神社にも参拝
武冨稲荷神社
狐さんがいっぱい
狛狐〝吽〟
重要文化財だって
文永7(1270)年5月7日銘のある石灯籠
総高2.18mのもので宝珠より基礎に至るまで造立当初の姿がほぼ完全に残っている。
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