2月9日(土曜日)
本日の祇園言葉
あきまへん
だめです。
用語例「そないな事はあきまへんな」(そんな事したらだめです)
福寿弁財天をお参りした後は、すぐ西の焼きそば専門店『おやじ』の斜め前の
寿延寺へ
正式名称=寿延寺(じゅえんじ)
寿延寺は山梨県身延の身延山久遠寺とする日蓮宗で、元誕生寺(千葉県小湊)の末寺。創建は元和2(1616)年。開山は円乗院日柔上人。本堂には、中央に一塔両尊(釈迦如来・多宝如来)。日蓮上人、脇には四大菩薩、四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)、その他諸尊を祀っている。本堂右奥には傳教大師作と伝えられる油涌大黒天と豊臣秀吉ゆかりの大黒天が祀られている事から、門前の道を大黒町通と呼ぶようになったという。参道には、洗心殿があり、浄行菩薩の石像を祀る。通称を「あらいぢぞう」と称し、諸病平癒等で日々全国各地よりの参詣者が多い。また寿延寺は十禅師の森の旧跡であり、参道には地主十禅大明神を祀っている。境内中庭には、五条大橋旧跡の碑がある。6月1日、浄行大菩薩大祭。2月3日、節分星祭祈願読誦会。
豊臣秀吉ゆかりの大黒天
大黒天はもとをただせば、ヒンズー教の破壊の神、シバ神だそうです。シバ神は青黒い身体をもつ破壊神で、仏教に帰依すると、サンスクリット語でマハーカーラ(摩訶迦羅)と呼ばれるようになり、マハーカーラには「偉大な黒い者」という意味があるそうです。このマハーカーラを大黒天として日本に持ち込んだのは、天台宗の開祖最澄とされている。この事で、天台宗の多くの寺の厨房に大黒天が置かれるようになった。
大黒天は大きな袋を持っていた事で、大きな袋を背負って全国を回ったという大国主命と混同された。
弁才天はインドの古代神話の大河の神で、サンスクリット語では「水を有するもの」を意味するサラスバティと呼ぶ。ヒンズー教では梵天の妃とみなされているようです。サラスバティは大河の神ですから水と関係があり、水が流れる音にちなんで、音楽の神、弁舌の神(知恵の神)として信仰されていました。
この女神を仏教の世界に引き込んだのは『金光明最勝王経』です。弁才天の声には、寿命増益怨敵退散の利があるとされ、弁才天のお経を聞いたものには知恵や長寿が授かるとされた。
日本にやってきた弁才天は、室町時代になると弁財天と書かれるようになり、「才」が「財」にとって変わった為、そこから弁財天には財産の神としての性格も加わったと考えられる。琵琶を弾く白肉色裸形という弁才天の姿は、市杵島姫命と習合した結果と思われ、市杵島姫命は天照大神の娘の一人です。
中世においては千葉氏や九戸氏が妙見菩薩を一族の守り神とした。
その御利益は、国土を守り、様々な悩みや災いを消し去り、敵を退け、寿命を増す大菩薩と言われている。災いを除き、福を招き、家を鎮め繁栄をもたらす「鎮守霊符神」の要素と、北極星が航海の目印となることから海上安全の神、また海上貿易で利益を得ていた大商人が帰依したことから商業の神、そして妙見という字面から、眼病平癒の神として民衆の間に信仰が広がったと考えられる。
妙見信仰は、古代バビロニアに始まり、インドを経て中国で仏教と道教とが習合し、仏教と共に日本に伝来した。妙見菩薩は、中国の星宿思想から北極星を神格化したもので有ることから、通常は大黒天や毘沙門天、弁財天と同じ天部に分類されている。仏教思想では、「妙見」とは「優れた視力」の意で、善悪や真理を良く見通す者と言うことで有る。
①弁財天社⇒②辰巳大明神⇒③なすあり地蔵菩薩⇒④観亀大明神⇒⑤目疾地蔵尊⇒⑥青柳延命地蔵大菩薩⇒⑦有楽稲荷⇒⑧延命地蔵菩薩⇒『祇園NITI』で甘味休憩⇒⑨安井金毘羅宮⇒⑩豊川稲荷(陀枳尼天堂)⇒⑪毘沙門天堂⇒⑫楽大明神⇒⑬摩利支天堂⇒⑭ゑびす神社⇒⑮子育て地蔵尊⇒⑯福寿弁財天⇒⑰大黒天⇒⑱蛇形大弁財天女⇒⑲洗い地蔵(浄行大菩薩)⇒⑳妙見大菩薩⇒次は
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