4月20日(金曜日)
【解説板の内容】
高瀬川を渡った西側、河原町通に至る間の元立誠(りっせい)小学校の辺りには、江戸時代、土佐藩の藩邸があった。当時は高瀬川に面しても門が開かれ、高瀬川には土佐橋が架かっていた。
藩邸が初めて置かれたのは江戸時代で、元禄三年(1690)には、京都藩邸の守るべき法律が詳しく定められている。
藩邸は藩の京都連絡事務所で、留守居役が詰め、町人の御用掛(ごようかかり)を指定して、各種の連絡事務に当たった。
土佐藩は、薩摩、長州と並んで幕末政局の主導権を握った雄藩で、武市瑞山、坂本龍馬、中岡慎太郎、後藤象二郎らの志士が活躍した。
藩邸は、土佐藩の活躍の京都における根拠地であった。
なお、この西側に鎮座する土佐稲荷・岬神社は、もと藩邸に鎮守社として祀られたもので、同社に参詣する町人のために藩邸内の通り抜けが許されていた。
京都市