7月26日(木曜日晴れ


暑い日は外に出ないように、と言う主治医の言葉に従って事務所で仕事してる勝頼どす。

なんせ心筋梗塞、脳梗塞、脊髄梗塞を夏の暑い日に起こしてるからドクロ


事務所2階なので、窓を開けるとイイ風が入ってきますチョキ

冷房は使ってないよ・・・タオルで鉢巻きして汗が目に入らないようにしているチョキ


武田氏の文献をゆっくり読んでいると、新しい武田氏や著者の間違いなどを発見出来て楽しいチョキ




【溝口氏】


『寛政重修諸家譜』によれば逸見義重の後裔という。義重は承久の乱に戦功があり美濃国山県郡大桑郷を賜り、代々その地に住んだが、後に尾張国中島郡溝口郷に移り、溝口と改姓、以後数代を経て勝政になったと伝える。



溝口勝政 ?-1575 (彦左衛門)

尾張国溝口郷を領す。勝政は溝口村の地侍と思われる。



溝口秀勝 1548-1610 (竹丸・金右衛門尉・伯耆守・定勝)

勝政の長子。丹羽長秀に仕え、1581年織田信長から若狭国高浜城5千石を与えられた。1583年賤ヶ岳の戦功により加賀国大聖寺城4万石、翌年検地の上、長秀より4万4千石を与えられた。1585年長秀の死去により豊臣秀吉から4万4千石を与えられ、堀秀政の与力を命じられた。86年従五位下伯耆守に叙任、秀勝と改める。87年秀吉の九州島津攻めに従う。1590年の小田原攻めには1番を、翌年の朝鮮出兵には名護屋詰を勤めた。1598年堀秀治の越後移封に従い、新発田城6万石を与えられ、1600年上杉遺民一揆には秀治を助けてこれを平定した。



溝口宣勝 1582-1628 (秀信・主膳正・伯耆守)

秀勝の長子。1597年従五位下に叙し秀信と改める。1600年上杉遺民一揆を父と共に平定、秀勝の領地の内7千石を与えられる。秀勝の死去により5万石を継ぐ。1615年の大坂陣に松平忠輝に属して従軍する。



溝口善勝 1584-1634 (孫左衛門・伊豆守)

秀勝の2子。徳川秀忠に仕える。その後父秀勝が領地の内において5千石を与えられる。1605年従五位下伊豆守に叙任。1609年上野国甘楽郡の内において2千石を与えられる。翌年父秀勝の遺領越後国蒲原郡の内に1万2千石を分けられ、以前の5千石の領地は兄宣勝に戻し、全て1万4千石を領す。1614年大坂陣の時、土井利勝に属し木津口を守衛する。翌年の大坂陣にも土井利勝に属す。1627年大坂城を守衛する。



もう武田一族は無いかも・・・あと、平姓小早川氏くらいかな・・・

その後は、小笠原氏、南部氏、佐竹氏と続く予定(*^▽^*)エヘヘ


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