11月2日(水曜日晴れくもり


昨日、『池坊550年祭』に招待してもらったチョキ

で、京都市中京区の池坊会館へ行った地下鉄走る人

四郎勝頼の京都祇園日記-池坊6



四郎勝頼の京都祇園日記-池坊
華道家元四十五世池坊専永氏の挨拶に始まり、


「碧山日録」※1の記述に基づき、黄色い菊に竜胆や女郎花などを配し、『550年前のいけばな』を次期家元池坊由紀氏が再現。


寛正3(1462)年10月2日条に、京極氏一族で足利将軍家直臣、鞍智高春が祖父を供養する仏事を行い、初代専慶が菊を瓶に挿した・・・・と言う記事による。


※1.京都東福寺の禅僧太極の日記


四郎勝頼の京都祇園日記-池坊3

550年前のいけばな・・・非常に興味深いグッド!

作品は会館隣の六角堂境内で2~4日、公開される。


華道家元池坊事務総長池坊雅史氏による、550年祭開催期間中のメイン行事についての説明。


角川書店単行本編集長吉良浩一氏と、作家脚本家鬼塚忠氏による『戦国エピソード』書籍化の説明・・・等々
四郎勝頼の京都祇園日記-池坊5


四郎勝頼の京都祇園日記-池坊7

池坊専好が、豊臣秀吉、千利休等と関わりが有るとはビックリマーク興味深いグッド!

中世の池坊を研究したくなったグッド!




四郎勝頼の京都祇園日記-池坊4
【前田邸大砂物】

文禄3(1594)年4月、前田利家邸に豊臣秀吉の御成りがあった際には、池坊専好(初代)が三之間に立てた大砂物の立花は、時代に応じた雄大なスケールを持ち、四間床(約7.2m)に懸けた四幅対の掛軸の猿猴20匹が、まるで松の枝に遊ぶかのように見えたといいます。

世に『池坊一代の出来物』と評されたという。ー「前田邸御成記」ー


※初代池坊専好 1536?-1621  
池坊家31世。立花の構成理論に儒学の教えを取り入れ、それまでの立花に画期的な変化をもたらした。慶長4(1599)年に大雲院で催した百瓶華会(ひゃくへいかかい)は絶賛された。


池坊由紀氏は、昭和63(1988)年池坊家次期家元46世として池坊専好を襲名。

家元就任後、4代目池坊専好を名乗ることになっている。


四郎勝頼の京都祇園日記-池坊2
最後に記念撮影チョキ


事務総長と名刺交換し、次期家元とも直接1対1で話せて満足グッド!


1年間、池坊が熱いぜビックリマーク


勝頼と池坊の関係は・・・池坊短大に咲いてる枝垂れ桜と、六角堂に咲く御幸桜を撮りに行くだけの関係だけσ(^_^;)ポリポリ


池坊に関する写真のおまけチョキ
四郎勝頼の京都祇園日記-池坊短期大学

池坊短期大学の春




四郎勝頼の京都祇園日記-六角堂4

六角堂の春

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