5月3日(火曜日祝日くもり

富士山を見て満足し、いよいよ苺狩りへ車DASH!

∑ヾ( ̄0 ̄;ノエエッ開園時間過ぎてる~ビックリマーク

謀られたぁ~。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。ウワーン


で、桜の密集が見えたので車DASH!

( ̄□ ̄;)オオッ城跡ではないかビックリマーク音譜


【小山城址】

小山城の成立年代については不明な点があり定かではない。

『甲斐国志』において城の記述が初めて現われるのは宝徳2(1450)年のことで、「穴山伊豆守がこの城に居住し、小石和の武田信重の館を攻めた」と記録されている。また、小山城を継いだ穴山伊予守信永は大永3(1523)年3月に鳥坂峠を越えて侵入してきた※南部下野守と花鳥山で交戦、小山城に篭もり防戦したが利あらずして常楽寺に落ちて自刃したとある。

その後、城は南部氏によって守られていたが、天文17(1548)年武田晴信の為罪を得て城を捨て廃城になった。

のちの天正10(1582)年、甲斐における『天正壬午の戦い』では徳川氏臣下の鳥居彦左衛門により修築されたとの記録が残っている。


※南部宗秀(下野守)

甲斐南部氏、定秀の子。武田氏家臣。甲斐国南部城主。

南部光行の12代目の後裔を称し、武田信虎・信玄に仕える。

大永3(1523)年小山城主穴山信永を破り、小山城代となる。天文17(1548)年乱行を理由に甲斐国を追放され、陸奥国会津まで流浪し、そこで餓死したと言う。

子の河西満秀は、長篠合戦で戦死してる。




四郎勝頼の京都祇園日記-小山城址

四郎勝頼の京都祇園日記-小山城址10

四郎勝頼の京都祇園日記-小山城址9

四郎勝頼の京都祇園日記-小山城址7

四郎勝頼の京都祇園日記-小山城址8

四郎勝頼の京都祇園日記-小山城址6

四郎勝頼の京都祇園日記-小山城址5

四郎勝頼の京都祇園日記-小山城址2

四郎勝頼の京都祇園日記-小山城址4


四郎勝頼の京都祇園日記-小山城址3


素晴らしい桜だったグッド!


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