5月2日(月曜日晴れ


武田神社から舞鶴城址へ車DASH!


【舞鶴城址】

現在の甲府市中心街の一条小山に築城された中世から近世にかけての平山城である。 甲斐国では戦国期から甲府が政治的中心地となり、躑躅ヶ崎館(武田氏居館)を中心とする武田城下町が造成されたが、武田氏滅亡後に甲斐を領した徳川家康や豊臣系大名が甲斐を支配し、甲府城を築城して新たに甲府城下町が整備された。豊臣政権では徳川家康を牽制する要所、江戸時代では将軍家に最も近い親藩(甲府藩)の城となった。天守台はあるが天守が建てられていたかは不明である。浅野長政父子の時代に天守があったとする説がある。江戸時代には初期の幕府直轄領時代から甲府藩時代、享保年間に再び直轄領とされた甲府勤番時代を通じて統治の拠点となる。

天正10(1582)年に甲斐国は徳川家康の所領となるが、家康は引き続き甲府を甲斐の政治的中心地と定め、翌同11年に家臣の平岩親吉に命じて一条小山の縄張りを行い、一蓮寺を移転させて築城を開始したという。しかし、完成前に家康は関東に転封され甲斐は豊臣秀勝の有する所となり、さらに加藤光泰、浅野長政・幸長父子ら豊臣系大名の領主が代わり、浅野氏時代に完成したとされている。

四郎勝頼の京都祇園日記-舞鶴城址3


四郎勝頼の京都祇園日記-舞鶴城址2

四郎勝頼の京都祇園日記-舞鶴城址


四郎勝頼の京都祇園日記-舞鶴城址12

四郎勝頼の京都祇園日記-舞鶴城址5

四郎勝頼の京都祇園日記-舞鶴城址4


四郎勝頼の京都祇園日記-舞鶴城址10

四郎勝頼の京都祇園日記-舞鶴城址9



四郎勝頼の京都祇園日記-舞鶴城址11

天守台


四郎勝頼の京都祇園日記-舞鶴城址8
天守台からの眺め



四郎勝頼の京都祇園日記-舞鶴城址6

四郎勝頼の京都祇園日記-舞鶴城址7




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