4月27日(水曜日)
社伝によれば、弘仁13(822)年に宇佐神宮または石清水八幡宮の分霊を勅命によって勧請し、地名から武田八幡宮と称したのが草創とされる。一方で『甲斐国志』は当宮の別当寺である法善寺の記録に基づき、同じく822年に空海の夢の中で八幡大菩薩が武田郷に出現したため神祠を構えたのを起源としている。なお、同書では日本武尊の王子である武田王が御殿を設けた事が武田の地名の由来であり、武田王が館の北東の祠を館内に移して祀ったのが武田武大神の起源としている。
『甲斐国社記・寺記』によれば、清和天皇の頃に奉幣と社領の寄進が行なわれた後、武田信義が付近に白山城を築いて居城とするとともに武田八幡宮を氏神とし、社頭の再建などを行なったという。
歴代の甲斐国司も造営を行なったとされるが、戦国期に武田晴信が天文10年12月23日に大檀主として嫡子である武田義信とともに再建したとあるのが、確認されている中で古い造営記録である。この造営は国主となった晴信の最初の事業でもあった。
祭神は、誉田別命(中殿)、足仲津彦命(左殿)、息長足姫命(右殿)、武田武大神(相殿)
石鳥居と総門